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IT活用で地域が変わる 地域活性化・危機管理

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温泉天国・鹿児島温泉紹介!

霧島観光案内
霧島連山山麓エリアの観光案内〜鹿児島県霧島市の該当エリア,  鹿児島県湧水町,  宮崎県内の該当エリア

霧島の観光情報を、行った場所は訪問記で、未訪問の場所はリンク集で紹介する、「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」HPのサブ・コンテンツ。夏休み,冬休み,春休みや土日・休日の遊び、デート、ドライブ情報の計画を立てる際に、お使いいただけます。

  
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鹿児島県の温泉&観光
(訪問した所は訪問記(注),訪問未済みの所はリンク集)

(注)100箇所以上に及ぶ、当HPオリジナル・コンテンツ。
地域 温泉案内 観光案内
鹿児島市
(桜島を含む)
鹿児島温泉とは(鹿児島市内温泉とは) 鹿児島市内(含む桜島)観光案内
鹿児島市の温泉(ホテル・旅館,桜島も含む)
鹿児島市の温泉(温泉銭湯[日帰り温泉立ち寄り湯],桜島も含む)
指宿 指宿及びその周辺の温泉 指宿観光案内
南薩 南薩地域の温泉 知覧観光案内
南薩観光案内
霧島 霧島温泉 霧島観光案内
霧島市,姶良
(霧島温泉以外)
妙見温泉など新川渓谷温泉郷 隼人・国分・姶良地域観光案内
日当山温泉&姫城温泉
その他霧島市(旧国分市,旧隼人町),姶良地区の温泉
北薩・中薩 北薩・中薩地域の温泉 北薩・中薩の観光案内
大隅
(霧島以外)
大隅地域の温泉 大隅観光案内
種子島,屋久島,三島村,十島村地区 種子島,屋久島,三島村,十島村の温泉 種子島,屋久島,三島村,十島村の観光案内
奄美諸島 奄美大島,与論島,沖永良部島地区の温泉 奄美大島,与論島,沖永良部島,喜界島,徳之島の観光案内
全般的に 訪問入湯記
(当HPオリジナル・コンテンツ:訪れた感想と観光案内)
観光訪問記
(当HPオリジナル・コンテンツ:訪れた感想と観光案内)
鹿児島県の温泉宿宿泊予約 鹿児島県内全域観光案内別サイト(リンク集)
特集 NHK大河ドラマ「篤姫」の故郷紹介(鹿児島観光案内)(New! 2007年12月)

「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内(New! 2010年08月)

鹿児島へのご旅行は
(当HP内の)九州新幹線乗車記&沿線観光案内







鹿児島県+宮崎県の霧島エリアの宿泊予約
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温泉宿のホテル・旅館の鹿児島県の宿泊予約  ↓
全国温泉宿予約(ホテル検索&宿泊予約ができます) ・ 鹿児島県
   温泉が無いホテル・旅館も含む鹿児島県の宿泊予約  ↓
宿泊施設情報(ホテル検索&宿泊予約ができます) ・ 鹿児島県
鹿児島温泉(鹿児島市内温泉)&桜島  温泉宿一覧    鹿児島市内(鹿児島・桜島)  ホテル・旅館一覧
指宿温泉  空室検索    南薩(指宿・枕崎)  ホテル・旅館一覧
指宿温泉  温泉宿一覧
南薩(指宿・枕崎)  温泉宿一覧
吹上温泉  温泉宿一覧
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市比野温泉  温泉宿一覧
宮之城温泉  温泉宿一覧
北薩(出水・川内)  温泉宿一覧
霧島温泉  空室検索    大隅地方(霧島・国分・志布志・鹿屋・内之浦)  ホテル・旅館一覧
霧島温泉  温泉宿一覧
妙見温泉  温泉宿一覧
大隅地方(霧島・国分・志布志・鹿屋・内之浦)  温泉宿一覧
種子島・屋久島  温泉宿一覧    種子島・屋久島  ホテル・旅館一覧
      奄美大島・喜界島・徳之島  ホテル・旅館一覧
      沖永良部島・与論島  ホテル・旅館一覧
【楽天トラベル・全国温泉宿予約】宮崎県  温泉地・温泉宿一覧    宮崎南部(都城・えびの・小林・日南)  ホテル・旅館一覧(注)
宮崎南部(都城・えびの・小林・日南)  温泉宿一覧
京町温泉  温泉宿一覧
吉田温泉  温泉宿一覧
極楽温泉  温泉宿一覧
(注) 霧島連山山麓エリアは、鹿児島県(西麓)だけでなく、宮崎県(東麓)にもまたがったエリアです。また、宮崎県内の都城市,  小林市,  えびの市,  高原町(たかはるちょう),  三股町(みまたちょう),  綾町(あやちょう),  国富町旧高岡外城地域,  宮崎市旧高岡町(たかおかちょう)地域江戸時代には薩摩藩領であり、宮崎市旧佐土原町(さどわらちょう)地域薩摩藩支藩 ・ 佐土原藩の藩領でした。

【楽天トラベル】航空券+ホテルがセットになったANA楽パック 鹿児島県
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宮崎県





【楽天トラベル・ANA楽パック】大隅地方(霧島・国分・志布志・鹿屋・内之浦)のホテル・旅館
(注:温泉宿以外のホテル・旅館・民宿・ペンションも含みます)
【楽天トラベル・ANA楽パック】宮崎南部(都城・えびの・日南)のホテル・旅館
(注:温泉宿以外のホテル・旅館・民宿・ペンションも含みます)
【楽天トラベル・JAL楽パック】大隅地方(霧島・国分・志布志・鹿屋・内之浦)のホテル・旅館
(注:温泉宿以外のホテル・旅館・民宿・ペンションも含みます)
【楽天トラベル・JAL楽パック】宮崎南部(都城・えびの・日南)のホテル・旅館
(注:温泉宿以外のホテル・旅館・民宿・ペンションも含みます)
【楽天トラベル・旅コミ(クチコミ)】大隅地方(霧島・国分・志布志・鹿屋・内之浦)のクチコミ観光情報
【楽天トラベル・たびノート】霧島・国分の観光スポット
【楽天トラベル・旅コミ(クチコミ)】宮崎南部(都城・えびの・日南)
【楽天トラベル・たびノート】都城・えびのの観光スポット







当画面(当ページ)内の目次
当画面(当ページ)の先頭(トップ)へ
鹿児島県
霧島市 霧島町地域 牧園町地域
隼人町地域 その他霧島市
(掲載する別ページ)
湧水町 栗野町地域 吉松町地域
宮崎県
えびの市 えびの市
小林市 小林市地域 須木村地域
(すきそん)
野尻町地域
高原町 高原町
都城市 都城市地域 山田町地域
高崎町地域 高城町地域
山之口町地域
三股町 三股町
隣接エリアを紹介する、当ホームページ内の別ページ
隼人・国分・姶良地域観光案内 > 霧島市
鹿児島県 ・ 霧島市の、当画面(当ページ)で紹介していない地域は、このリンク先でご参照いただけます。)




当HP内の他の関連エリア情報
霧島温泉 「霧島温泉案内」でご参照いただけます。
妙見温泉など新川渓谷温泉郷 「妙見温泉など新川渓谷温泉郷」でご参照いただけます。
日当山温泉&姫城温泉 「日当山温泉&姫城温泉」でご参照いただけます。
隼人・国分・姶良地域 「隼人・国分・姶良地域観光案内」でご参照いただけます。



当HP・温泉天国・鹿児島温泉紹介!の訪問記or体験記
地域 訪問or体験した観光地orスポット
霧島周辺 霧島神宮
霧島周辺 霧島神宮古宮址
霧島周辺 高千穂河原&高千穂河原ビジターセンター
霧島周辺 霧島連山登山(霧島トレッキング・霧島縦走コース:韓国岳,獅子戸岳,新燃岳,中岳)
霧島周辺 高千穂峰登山
霧島周辺 和気神社
霧島周辺 犬飼滝
霧島周辺 高千穂牧場
霧島周辺 生駒高原 コスモス園
霧島周辺 特急きりしま
霧島周辺 観光特急「はやとの風」(肥薩線の旅行)
霧島周辺 観光列車「いさぶろう・しんぺい」号(肥薩線の旅行)



当HP・温泉天国・鹿児島温泉紹介!掲載の、この地域の温泉・温浴施設の入湯記
温泉,地域 入湯した温泉・温浴施設
霧島温泉郷 霧島いわさきホテル
霧島温泉郷 霧島国際ホテル
霧島温泉郷 霧島第一ホテル スパヒルズ
霧島温泉郷 硫黄谷温泉霧島ホテル
霧島温泉郷 静流荘
霧島温泉郷 旅行人山荘
霧島温泉郷 前田温泉カジロが湯(日帰り温泉立ち寄り湯)
霧島温泉郷 新湯温泉・霧島新燃荘
霧島温泉(霧島山麓) 野々湯温泉
霧島温泉郷&霧島山系山麓の温泉地 栗野岳温泉南洲館
霧島山系周辺平野部・吉松温泉郷 吉松駅前温泉
妙見温泉 妙見石原荘
妙見温泉 味の宿どさんこ
妙見温泉 田島本館
新川渓谷温泉郷 塩浸温泉福祉の里
新川渓谷温泉郷 日の出温泉きのこの里
日当山温泉 日当山温泉・花の湯
ここで紹介しきれていない最新の入湯記はこちらへ




<霧島観光:鹿児島県

鹿児島県庁

鹿児島県観光サイト/本物。の旅かごしま((社)鹿児島県観光連盟 鹿児島県観光交流局観光課)

鹿児島観光コンベンション協会

鹿児島の温泉情報サイト 鹿児島温泉観光課六三四城

<霧島観光案内:鹿児島県霧島市

霧島市ホームページ ・ 霧島市総合観光案内

霧島観光.com((社)霧島市観光協会)

ふるさと霧島.com(ふるさと霧島夏祭り実行委員会が運営する霧島情報サイト)
(公式ブログとしてふるさと霧島.com公式ブログがあり、アジサイロード等の記事が載っています。)

まるごと霧島.com

霧島の観光・情報サイト「きりなび」

★2012 霧島ふるさと大使の部屋★(ブログ)
(例えば鉄道の日 『霧島VS指宿☆冬』 キックオフイベント等の日記記事があります。)

霧島市
(リンク先はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のサブ・コンテンツ。平成17年(2005年)11月7日に、国分市,  姶良郡溝辺町,  横川町,  霧島町,  牧園町,  隼人町,  福山町が市町村合併して成立しました。この内、霧島連山山麓地域の観光スポットがあるエリアは、旧霧島町,  旧牧園町,  そして旧隼人町の一部であり、当ページ(当画面)ではこのエリアの観光スポットの紹介を行います。霧島市の中の他のエリアの観光スポットについては、当ホームページ内の隼人・国分・姶良地域観光案内のページ(画面)でご案内申し上げております。)


霧島市平成の大合併前の市町村ごとの、当画面(ページ)内の目次
霧島町地域 牧園町地域
隼人町地域 霧島市内他地域
(当HP内の別画面(別ページ))





のったりおりたりマイプラン(霧島地区)
(リンク先は、運営するバス会社「いわさきバスネットワーク」のホールディング会社(グループ親会社)・いわさきコーポレーション(株)のサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在。)
ならびに
霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)
(リンク先は霧島市ホームページのサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在google検索結果は、のったりおりたりマイプラン(霧島)です。2013年12月現在「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券で、霧島温泉妙見温泉など新川渓谷温泉郷がある霧島地域の観光スポットを廻るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークの路線バスに乗れる、1日乗り放題の乗車券「のったりおりたりマイプラン(霧島地区)」です。2013年12月現在、以下の路線の路線バスに乗ることができ、時刻表については、リンク先URLは2013年11月現在九州のバス時刻表ホームページ,  霧島市ホームページ ・ 霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表),ならびにいわさきコーポレーション(株) ・ のったりおりたりマイプラン(霧島地区)でご参照いただけます。)
◎   霧島−霧島神宮−国分線   ○   国分駅JR九州 ・ 日豊本線)(地図)・国分営業所(重久車庫 )(地図)・「霧島神宮駅JR九州 ・ 日豊本線)」バス停(地図)・「霧島神宮」バス停(地図霧島神宮以外にも、霧島神宮温泉郷など最寄り)・蓬泉館前(地図)・神話の里入口(地図)・湯之谷温泉入り口(地図)・丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)・丸尾温泉地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)・硫黄谷地図硫黄谷温泉 霧島ホテル最寄り)経由−霧島いわさきホテル地図
◎   霧島温泉駅−霧島いわさきホテル線   ○   霧島温泉駅JR九州 ・ 肥薩線)(地図)−牧園小前(地図)・柳平下(地図霧島高原まほろばの里最寄り)・柳平(地図霧島国際音楽ホール みやまコンセール最寄り)・牧場(地図霧島高原乗馬クラブ最寄り)・塩湯温泉(地図殿湯温泉最寄り)・丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷,  霧島温泉市場(旧・霧島湯けむり広場パライソ)最寄り)・丸尾温泉地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)・硫黄谷地図硫黄谷温泉 霧島ホテル最寄り)経由−霧島いわさきホテル地図
◎   メモリーライン(指宿〜鹿児島・空港〜霧島)   ○   鹿児島空港地図)乗換>
山川桟橋地図いぶすき山川港特産市場「活お海道(いおかいどう)」最寄り−山川駅前(地図)・)指宿いわさきホテル地図)・指宿駅前バス停(地図)・今和泉(地図篤姫関連歴史観光スポット最寄り)・喜入(地図)・平川(地図)・高速伊敷(地図)・鹿児島空港地図)・(乗換)塩浸温泉地図「塩浸温泉龍馬公園」&「坂本龍馬・お龍新婚湯治碑」最寄り)・牧園麓(地図)・柳平下(地図霧島高原まほろばの里最寄り)・柳平(地図霧島国際音楽ホール みやまコンセール最寄り)・牧場(地図霧島高原乗馬クラブ最寄り)・塩湯温泉(地図殿湯温泉最寄り)・丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷,  霧島温泉市場(旧・霧島湯けむり広場パライソ)最寄り)・丸尾温泉地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)・硫黄谷地図硫黄谷温泉 霧島ホテル最寄り)経由−霧島いわさきホテル地図
  ○   <ノンストップ便>
指宿いわさきホテル地図)−指宿駅前バス停(地図)・鹿児島中央駅地図)・鹿児島空港地図)・丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷,  霧島温泉市場(旧・霧島湯けむり広場パライソ)最寄り)−霧島いわさきホテル地図
◎   霧島−妙見・日当山−国分   ○   霧島市役所地図)−国分(山形屋前)地図)・国分駅構内(JR九州 ・ 日豊本線)(地図)・中ノ城 (地図姫城温泉(ひめぎおんせん)最寄り)・姫城温泉地図姫城温泉最寄り)・木ノ房(地図(狭義の)日当山温泉(ひなたやまおんせん)中の木房温泉(西郷どん湯など)最寄り)・日当山(ひなたやま)地図(狭義の)日当山温泉,  姫城温泉最寄り)・松永岐れ(地図清姫温泉,姫城温泉最寄り)・水天渕(地図新川渓谷温泉郷中、かれい川の湯,  季一湯(トキイチユ)最寄り)・立花上 (地図妙見温泉中、味の宿どさんこ最寄り)・妙見(地図妙見温泉薩摩隼人妙見ホテル),ならびに折橋温泉(おりはしおんせん)最寄り)・安楽橋(地図;数百m歩きますが、妙見温泉中、妙見石原荘,  忘れの里 雅叙苑最寄り)・安楽(地図新川渓谷温泉郷中、安楽温泉最寄り)・新川(地図新川渓谷温泉郷中、天降川温泉(ホテル華耀亭)最寄り)・山之湯下(地図新川渓谷温泉郷中、妙見新川温泉(せせらぎ荘)最寄り)・日之出温泉(地図新川渓谷温泉郷中、日の出温泉きのこの里最寄り)・塩浸温泉地図「塩浸温泉龍馬公園」&「坂本龍馬・お龍新婚湯治碑」最寄り)・牧園麓(地図)・柳平下(地図霧島高原まほろばの里最寄り)・柳平(地図霧島国際音楽ホール みやまコンセール最寄り)・牧場(地図霧島高原乗馬クラブ最寄り)・塩湯温泉(地図殿湯温泉最寄り)・丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷,  霧島温泉市場(旧・霧島湯けむり広場パライソ)最寄り)・丸尾温泉地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)・硫黄谷地図硫黄谷温泉 霧島ホテル最寄り)経由−霧島いわさきホテル地図
◎   妙見路線バス
妙見温泉バス
  ○   旧・温泉バスの後継路線>
鹿児島空港地図)−嘉例川駅地図)・日之出温泉(地図新川渓谷温泉郷中、日の出温泉きのこの里最寄り)・山之湯下(地図新川渓谷温泉郷中、妙見新川温泉(せせらぎ荘)最寄り)・新川(地図新川渓谷温泉郷中、天降川温泉(ホテル華耀亭)最寄り)・安楽(地図);宿によっては歩きますが、新川渓谷温泉郷中、安楽温泉朱峰,  さかいだ温泉,  本家 しおゆ,  佐藤温泉,  みょうばん湯,  鶴乃湯最寄り)・雅叙園前(地図忘れの里 雅叙苑最寄り)・安楽橋(地図;数百m歩きますが、妙見温泉中、万里苑(旧 楽園荘)最寄り)・石原荘前(地図妙見温泉中、妙見石原荘最寄り)・妙見温泉(地図妙見温泉薩摩隼人妙見ホテル,  田島本館,  妙見田中会館,  湯治の宿妙見館・妙見元湯,  素泊まり旅館きらく,数百m歩きますが秀水湯最寄り),ならびに折橋温泉(おりはしおんせん)おりはし旅館,  おりはし旅館別館 山水荘)最寄り)・立花上 (地図妙見温泉中、味の宿どさんこ最寄り,数百m歩きますが秀水湯最寄り)・水天渕(地図新川渓谷温泉郷中、かれい川の湯,  季一湯(トキイチユ)最寄り)・木ノ房(地図日当山温泉(ひなたやまおんせん)中、例えば西郷どん湯(木房温泉)等の(狭義の)日当山温泉(ひなたやまおんせん)中の最寄り)・鹿児島神宮前(地図鹿児島神宮最寄り)−隼人駅JR九州 ・ 日豊本線,  肥薩線)(地図

<その他、霧島地域の観光スポットを巡るバス>
  なお、霧島地域の観光スポットを巡るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークのバス路線の内、「霧島連山周遊バス」については、2013年12月現在霧島市ホームページ ・ 霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)では「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券の対象路線として載っていますが、いわさきコーポレーション(株) ・ のったりおりたりマイプラン(霧島地区)では「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券の対象路線として挙げられていません。実際にどうであるかは不明ですが、霧島地域の観光スポットを巡るバス路線として載せておきます。時刻表については、2013年12月現在九州のバス時刻表ホームページ,ならびに霧島市ホームページ ・ 霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)でご参照いただけます。さらになお、霧島地域の観光スポットを巡る際には、いわさきコーポレーション(株)霧島・えびの高原定期観光バスもご利用いただけますので、併せて紹介します。
◎   霧島連山周遊バス   ○   丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)−えびの高原地図>霧島連山韓国岳えびの高原登山口,  えびの高原最寄り)−高千穂河原地図>霧島連山中岳高千穂河原登山口,  高千穂峰登山口,  霧島神宮古宮址,  高千穂河原ビジターセンター最寄り)−丸尾地図
◎   霧島・えびの高原定期観光バス   ○   2013年12月現在いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト ・ バスのご案内 ・ 定期観光バス  ・ 霧島・えびの高原定期観光バス 時刻表(&案内:PDF版)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課) ・ バスご利用の方ご参照。もしも将来リンク切れになったら、(社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   霧島市ホームページ ・ 「観光案内:市内の交通案内 ・ 霧島遊めぐりバスマップダウンロード・ページ」,または霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、霧島市ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。



霧島市平成の大合併前の市町村ごとの、当画面(ページ)内の目次
霧島町地域 牧園町地域
隼人町地域 霧島市内他地域
(当HP内の別画面(別ページ))




霧島市霧島町地域>

(当HP内の)特集:「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内

(当HP内の)九州新幹線乗車記
(終点の鹿児島中央駅JR日豊本線特急きりしまに乗り換えれば、霧島温泉エリアに行けます。)

(当HP内の)特急きりしま乗車記(兼)交通・観光案内(日豊本線の旅)
→   霧島温泉へは、九州新幹線の終点・鹿児島中央駅JR日豊本線特急きりしまに乗り換えてJR日豊本線 ・ 霧島神宮駅に行き、霧島神宮駅から霧島いわさきホテル行きのいわさきバスネットワークのバスに乗り換えれば行けます。いわさきバスネットワークの時刻表は、以下のリンク先サイトでご参照可能です。
九州のバス時刻表

交通ナビかごしま


のったりおりたりマイプラン(霧島地区)
(リンク先は、運営するバス会社「いわさきバスネットワーク」のホールディング会社(グループ親会社)・いわさきコーポレーション(株)のサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在。)
ならびに
霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)
(リンク先は霧島市ホームページのサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在google検索結果は、のったりおりたりマイプラン(霧島)です。2013年12月現在「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券で、霧島温泉妙見温泉など新川渓谷温泉郷がある霧島地域の観光スポットを廻るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークの路線バスに乗れる、1日乗り放題の乗車券「のったりおりたりマイプラン(霧島地区)」です。
  
「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券の路線について詳しくは、当画面(当ページ)上方ののったりおりたりマイプラン(霧島地区)紹介欄で、ご参照いただけます。
詳しくは →  当画面(当ページ)上方ののったりおりたりマイプラン(霧島地区)紹介欄


<霧島連山周遊バス&霧島・えびの高原定期観光バス>
霧島地域の観光スポットを巡るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークのバス路線の内、「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券対象外かも知れない路線には「霧島連山周遊バス」があり、時刻表については、2013年12月現在九州のバス時刻表ホームページ,ならびに霧島市ホームページ ・ 霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)でご参照いただけます。また、霧島地域の観光スポットを巡る際には、いわさきコーポレーション(株)霧島・えびの高原定期観光バスもご利用いただけます。
◎   霧島連山周遊バス   ○   丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)−えびの高原地図>霧島連山韓国岳えびの高原登山口,  えびの高原最寄り)−高千穂河原地図>霧島連山中岳高千穂河原登山口,  高千穂峰登山口,  霧島神宮古宮址,  高千穂河原ビジターセンター最寄り)−丸尾地図
◎   霧島・えびの高原定期観光バス   ○   2013年12月現在いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト ・ バスのご案内 ・ 定期観光バス  ・ 霧島・えびの高原定期観光バス 時刻表(&案内:PDF版)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課) ・ バスご利用の方ご参照。もしも将来リンク切れになったら、(社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   霧島市ホームページ ・ 「観光案内:市内の交通案内 ・ 霧島遊めぐりバスマップダウンロード・ページ」,または霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、霧島市ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。


(当HP内の)霧島連山登山(霧島トレッキング・霧島縦走コース:韓国岳,獅子戸岳,新燃岳,中岳)登山訪問記
楽天トラベル(旧・旅の窓口)でも【楽天トラベル】楽天おすすめ特集 〜秋〜 ムーブメント企画2006 ロハス第3弾 神話と伝説に彩られた秋に霧島とおいしいロハスの旅の中で紹介されています。)

(当HP内の)えびの高原登山口案内
(リンク先は当HP内の霧島連山登山体験記内の解説欄。楽天トラベル(旧・旅の窓口) ・ たびノートでもえびの高原として紹介されています。)

(当HP内の)韓国岳案内
(リンク先は当HP内の霧島連山登山体験記内の解説欄。)

(当HP内の)獅子戸岳案内
(リンク先は当HP内の霧島連山登山体験記内の解説欄。)

(当HP内の)新燃岳案内
(リンク先は当HP内の霧島連山登山体験記内の解説欄。)

(当HP内の)中岳案内
(リンク先は当HP内の霧島連山登山体験記内の解説欄。)

(当HP内の)大浪池案内
(リンク先は当HP内の霧島連山登山体験記内の解説欄。)

(当HP内の)高千穂河原&高千穂河原ビジターセンター訪問記

(当HP内の)霧島神宮古宮址訪問記

(当HP内の)高千穂峰登山訪問記
楽天トラベル(旧・旅の窓口)でも【楽天トラベル】楽天おすすめ特集 〜秋〜 ムーブメント企画2006 ロハス第3弾 神話と伝説に彩られた秋に霧島とおいしいロハスの旅の中で紹介されています。当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内でも紹介しています。)

(当HP内の)霧島神宮訪問記
(当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内でも紹介しています。)

(当HP内の)華林寺跡(花林寺跡)案内
(リンク先は当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内の当該観光スポット紹介欄。霧島神宮の門前町最寄りにあります。楽天トラベル ・ たびノートでも華林寺跡(花林寺跡)として紹介されています。平成10年(1998年)11月に、同じ鹿児島県 姶良郡 霧島町(現・鹿児島県 ・ 霧島市霧島町地域)内の異なる場所に、花林寺かりんじとして再興されたとの由です。)

(当HP内の)「龍馬ハネムーンウォークin霧島」案内
(リンク先は当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内の当該観光スポット紹介欄。公式WEBサイトは龍馬ハネムーンウォークin霧島 公式サイトです。)

(当HP内の)霧島神宮温泉郷案内
(リンク先は(当HP内の)霧島温泉案内のページ(画面)の該当箇所。霧島神宮温泉郷は、霧島温泉の中の温泉郷の1つです。)

(当HP内の)高千穂牧場訪問記(宮崎県内霧島山麓)
(所在地は霧島市霧島町地域ではなく宮崎県 ・ 都城市ですが、霧島市霧島町地域に隣接していますので、ここにも載せておきます。2011年4月現在、高千穂牧場の製品は、【楽天市場】山形屋オンラインショップでも高千穂牧場製品のギフトセットとしてお買い求めいただくことが可能です。)

高千穂河原キャンプ場
(リンク先は(財)自然公園財団のサブ・コンテンツで公式WEBサイト(リンク先URLは2010年8月現在)楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県でも高千穂河原キャンプ場として紹介されています。)

霧島市観光案内所の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。霧島神宮の門前町にあります。霧島市ホームページでも観光施設(溝辺、横川、牧園、霧島地区)の中で(リンク先URLは2011年4月現在)>全国旅そうだんでも霧島市観光案内所として、じゃらんnetでも霧島市観光案内所として紹介されています。)

霧島民芸村
霧島神宮の門前町にあります。楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県でも霧島民芸村として紹介されています。)

霧島天狗館の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。霧島神宮の門前町にあります。ふるさと霧島.com(ふるさと霧島夏祭り実行委員会が運営する霧島情報サイト) ・ ふるさと霧島.com公式ブログでも霧島天狗館:霧島観光施設として(リンク先URLは2010年10月現在)ふるさと霧島.comでも霧島ガイドブックきりしま知得本・観光施設・霧島天狗館として紹介されています。)

御手洗の滝
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。MAPPLE観光ガイドでも御手洗の滝として紹介されています。)

霧島川渓谷
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。MAPPLE観光ガイドでも霧島川渓谷として紹介されています。)

霧島町蒸留所
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。公式ホームページは銘柄名の明るい農村です。MAPPLE観光ガイドでも霧島町蒸留所として、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも霧島町蒸留所として紹介されています。霧島町蒸留所の芋焼酎は、【楽天市場】でお探しいただけます。)

霧島歴史民俗資料館の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。全国旅そうだんでも霧島町歴史民俗資料館として、じゃらんnetでも霧島町歴史民俗資料館として、霧島市ホームページでも霧島市立郷土館等施設の中で(リンク先URLは2011年4月現在)、市町村合併前の旧霧島町残存サイトでも霧島歴史民俗資料館として(リンク先URLは2011年4月現在,注:このリンク先は開館時間,休館日,入館料が現在よりも古いです)、紹介されています。)

九州自然歩道・霧島連山の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。霧島市総合観光案内でも九州自然遊歩道・霧島連山,高千穂自然探勝路,中岳自然遊歩道,犬飼の滝自然遊歩道,霧島高原国民休養地遊歩道,丸尾自然探勝路,柳ヶ平散策路として(リンク先URLは2011年4月現在)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも九州自然歩道として、でも九州自然歩道(鹿児島県ルートマップ)についてとして(リンク先URLは2011年4月現在)、紹介されています。)

自然休養村・霧島緑の村の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。住所は、見る資料によって「鹿児島県霧島市霧島田口2583-13」と「鹿児島県霧島市霧島田口2608」の2種類の記載がありますが、どうやら後者の方が正しそうですが、もしかしたら「鹿児島県霧島市霧島田口2583」の範囲が広くて、「-13」が付くと「鹿児島県霧島市霧島田口2608」に隣接している可能性があり、であれば両方共正しい可能性も否定できません。鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課)でも霧島緑の村として(リンク先URLは2013年8月現在)霧島市ホームページの公式ページとしでも霧島緑の村として(リンク先URLは2011年4月現在)きりしまPPP(株)でも霧島みどりの村として(リンク先URLは2013年8月現在)まるごと霧島.comでも霧島緑の村として、全国旅そうだんでも霧島町緑の村バンガロー,  霧島緑の村として、じゃらんnetでも霧島町緑の村バンガローとして紹介されています。)

道の駅 霧島
国土交通省九州地方整備局:九州の道づくり みちの情報九州の道の駅のサブ・コンテンツで公式WEBサイト(リンク先URLは2011年4月現在)楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県でも道の駅 霧島として紹介されています。霧島神話の里公園を併設しています。)

霧島神話の里公園
鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課)でも霧島神話の里公園として(リンク先URLは2013年8月現在)MAPPLE観光ガイドでも霧島神話の里公園として、全国旅そうだんでも霧島神話の里公園,  霧島神話の里公園ブルーベリー園として、じゃらんnetでも霧島神話の里公園として紹介されています。道の駅 霧島に併設されています。)

(有)霧島高原ロイヤルポーク・レストラン「黒豚の館」
ぐるなびでも産直レストラン黒豚の館として、MAPPLE観光ガイドでも産直レストラン黒豚の館として紹介されています。)

地鶏料理みやま霧島店
Yahoo!グルメでも地鶏料理みやま 霧島本店として、MAPPLE観光ガイドでも地鶏料理みやま 霧島本店として紹介されています。)

花林寺高野山 真言宗 花林寺 オフィシャルサイト(かりんじ)  (高野山真言宗
アット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図いつもNAVIの地図で場所を示せば花林寺の場所のとおり。住所:〒899-4201 鹿児島県霧島市霧島田口2614−1,Tel.:0995-57-0992。公式ホームページとしては、上述の高野山 真言宗 花林寺 オフィシャルサイトの他、Facebookにも高野山 真言宗 花林寺 facebookページがあります。その他、goo ・ タウンページでも花林寺として、iタウンページでも花林寺として、Yahoo! JAPAN ・ Yahoo! ロコでも花林寺として紹介されています。
  高野山 真言宗 花林寺 オフィシャルサイト ・ 花林寺についてによれば、
高野山 真言宗& 花林寺こうやさん しんごんしゅう かりんじは、かつて江戸時代霧島神宮別当寺(別當寺)だった真言宗華林寺けりんじが慶応4年/明治元年(1868年)からの廃仏毀釈で廃寺になった後、平成10年(1998年)11月に、真言宗による住職初代の兼慶(けんけい)法印から数えて以来37代目になる小野静妙住職によって130年ぶりに、同じ鹿児島県 姶良郡 霧島町(現・鹿児島県 ・ 霧島市霧島町地域)内の異なる場所に移転再興された寺であるとの由です。国立国会図書館ホームページ ・ 近代デジタルライブラリー ・ キーワード「三国名勝図会」の検索結果 ・ 三国名勝図会:60巻. 12(巻之34-36)コマ番号22,ならびに37によれば、江戸時代霧島神宮西御在所霧島権現と呼ばれており、その別当寺華林寺けりんじ山号も付けた江戸時代の正式名称は霧島山錫丈院華林寺きりしまさんしゃくじょういんけりんじであったとの由です。高野山 真言宗 花林寺 オフィシャルサイト ・ 花林寺についてによれば、廃仏毀釈で一旦廃寺になる以前の旧華林寺けりんじは、開山当初は天台宗の寺院で華林寺と表記していましたが、戦国時代の文明16年(1484年)に真言宗の兼慶法印が華林寺跡の場所に移転した際に真言宗の寺院になり、表記も花林寺に変更になったとの由です。移転再興後の今日の花林寺かりんじは、この表記変更後の字を用いていることになります。江戸時代華林寺けりんじについて詳しくは、当ホームページ内の「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内内の華林寺跡紹介欄でご参照いただけます。
→   (当HP内の)「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内内の華林寺跡紹介欄

  今日の
花林寺かりんじは、一時期は薩摩藩領内の寺院が1寺も残さずに全滅した、過度の廃仏毀釈が行われた鹿児島県においては、場所が移転したとは申せ復興できた数少ない寺院の中の一つであり、この点で、とても貴重な寺院です。なお、花林寺かりんじ以外の鹿児島県内の、廃仏毀釈後に復興した歴史の古い寺院については、当ホームページ内の感応寺(感応禅寺),五廟社訪問記画面(ページ)の「鹿児島県内の、廃仏毀釈後に復興した歴史の古い寺院」欄で、ご参照いただけます。
→   (当HP内の)感応寺(感応禅寺),五廟社訪問記内の「鹿児島県内の、廃仏毀釈後に復興した歴史の古い寺院」欄



○   【楽天GORA】鹿児島県のゴルフ場一覧
○   【楽天GORA】高千穂カントリー倶楽部  (鹿児島県霧島市霧島田口)
<注:以下の各ゴルフ場は霧島観光の地域外です>
○   【楽天GORA】入来城山ゴルフ倶楽部  (薩摩川内市入来町浦之名)
(この地域外ですが、かつて城山観光ホテル経営だったゴルフ場であり、個人的に城山観光ホテルの大ファンですので、載せておきます。)
○   【楽天GORA】島津ゴルフ倶楽部  (鹿児島市宮之浦町)
(この地域外ですが、個人的に尚古集成館,  島津家別邸:名勝 仙巌園(磯庭園),  野天風呂 薩摩いろはの湯などを運営する島津興業グループのファンですので、載せておきます。)
○   【楽天GORA】いぶすきゴルフクラブ  (鹿児島県指宿市開聞川尻)
(この地域外ですが、個人的に指宿いわさきホテル,  霧島いわさきホテル,  屋久島いわさきホテルなどいわさきグループのファンですので、載せておきます。)
○   【楽天GORA】コスモリゾート種子島ゴルフクラブ
(この地域外ですが、個人的に指宿いわさきホテル,  霧島いわさきホテル,  屋久島いわさきホテルなどいわさきグループのファンですので、載せておきます。)


(当HP内の)霧島神宮温泉郷案内(再掲)
(リンク先は(当HP内の)霧島温泉案内のページ(画面)の該当箇所。霧島神宮温泉郷は、霧島温泉の中の温泉郷の1つです。)

【楽天市場】山形屋オンラインショップ
鹿児島の物産については、【楽天市場】山形屋オンラインショップでもキーワード「鹿児島」の検索結果でお買い求めいただくことが可能です。)

のったりおりたりマイプラン(霧島地区)
(リンク先は、運営するバス会社「いわさきバスネットワーク」のホールディング会社(グループ親会社)・いわさきコーポレーション(株)のサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在。)
ならびに
霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)
(リンク先は霧島市ホームページのサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在google検索結果は、のったりおりたりマイプラン(霧島)です。2013年12月現在「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券で、霧島温泉妙見温泉など新川渓谷温泉郷がある霧島地域の観光スポットを廻るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークの路線バスに乗れる、1日乗り放題の乗車券「のったりおりたりマイプラン(霧島地区)」です。
  
「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券の路線について詳しくは、当画面(当ページ)上方ののったりおりたりマイプラン(霧島地区)紹介欄で、ご参照いただけます。
詳しくは →  当画面(当ページ)上方ののったりおりたりマイプラン(霧島地区)紹介欄


<霧島連山周遊バス&霧島・えびの高原定期観光バス>
霧島地域の観光スポットを巡るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークのバス路線の内、「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券対象外かも知れない路線には「霧島連山周遊バス」があり、時刻表については、2013年12月現在九州のバス時刻表ホームページ,ならびに霧島市ホームページ ・ 霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)でご参照いただけます。また、霧島地域の観光スポットを巡る際には、いわさきコーポレーション(株)霧島・えびの高原定期観光バスもご利用いただけます。
◎   霧島連山周遊バス   ○   丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)−えびの高原地図>霧島連山韓国岳えびの高原登山口,  えびの高原最寄り)−高千穂河原地図>霧島連山中岳高千穂河原登山口,  高千穂峰登山口,  霧島神宮古宮址,  高千穂河原ビジターセンター最寄り)−丸尾地図
◎   霧島・えびの高原定期観光バス   ○   2013年12月現在いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト ・ バスのご案内 ・ 定期観光バス  ・ 霧島・えびの高原定期観光バス 時刻表(&案内:PDF版)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課) ・ バスご利用の方ご参照。もしも将来リンク切れになったら、(社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   霧島市ホームページ ・ 「観光案内:市内の交通案内 ・ 霧島遊めぐりバスマップダウンロード・ページ」,または霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、霧島市ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。



当画面(当ページ)内の目次
当画面(当ページ)の先頭(トップ)へ
鹿児島県
霧島市 霧島町地域 牧園町地域
隼人町地域 霧島市他地域
(当HP内の別画面(別ページ))
湧水町 栗野町地域 吉松町地域
宮崎県
えびの市 えびの市
小林市 小林市地域 須木村地域
(すきそん)
野尻町地域
高原町 高原町
都城市 都城市地域 山田町地域
高崎町地域 高城町地域
山之口町地域
三股町 三股町
隣接エリアを紹介する、当ホームページ内の別ページ
隼人・国分・姶良地域観光案内 > 霧島市
鹿児島県 ・ 霧島市の、当画面(当ページ)で紹介していない地域は、このリンク先でご参照いただけます。)




霧島市牧園町地域>

(当HP内の)特集:「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内(再掲)

(当HP内の)九州新幹線乗車記
(終点の鹿児島中央駅JR日豊本線特急きりしまに乗り換えるか、或いは、鹿児島中央駅JR日豊本線経由でJR肥薩線に行く観光特急「はやとの風」に乗り換えれば、霧島温泉エリアに行けます。)

(当HP内の)特急きりしま乗車記(兼)交通・観光案内(日豊本線の旅)
→   霧島温泉へは、九州新幹線の終点・鹿児島中央駅JR日豊本線特急きりしまに乗り換えてJR日豊本線 ・ 霧島神宮駅に行き、霧島神宮駅から霧島いわさきホテル行きのいわさきバスネットワークのバスに乗り換えれば行けます。いわさきバスネットワークの時刻表は、以下のリンク先サイトでご参照可能です。
九州のバス時刻表

交通ナビかごしま

(当HP内の)観光特急「はやとの風」乗車記(兼)交通・観光案内(肥薩線の旅)
→   霧島温泉へは、九州新幹線の終点・鹿児島中央駅JR日豊本線経由でJR肥薩線に行く観光特急「はやとの風」に乗り換えてJR肥薩線 ・ 霧島温泉駅に行き、霧島温泉駅から霧島いわさきホテル行きのいわさきバスネットワークのバスに乗り換えれば行けます。いわさきバスネットワークの時刻表は、以下のリンク先サイトでご参照可能です。
九州のバス時刻表

交通ナビかごしま


のったりおりたりマイプラン(霧島地区)
(リンク先は、運営するバス会社「いわさきバスネットワーク」のホールディング会社(グループ親会社)・いわさきコーポレーション(株)のサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在。)
ならびに
霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)
(リンク先は霧島市ホームページのサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在google検索結果は、のったりおりたりマイプラン(霧島)です。2013年12月現在「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券で、霧島温泉妙見温泉など新川渓谷温泉郷がある霧島地域の観光スポットを廻るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークの路線バスに乗れる、1日乗り放題の乗車券「のったりおりたりマイプラン(霧島地区)」です。
  
「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券の路線について詳しくは、当画面(当ページ)上方ののったりおりたりマイプラン(霧島地区)紹介欄で、ご参照いただけます。
詳しくは →  当画面(当ページ)上方ののったりおりたりマイプラン(霧島地区)紹介欄


<霧島連山周遊バス&霧島・えびの高原定期観光バス>
霧島地域の観光スポットを巡るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークのバス路線の内、「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券対象外かも知れない路線には「霧島連山周遊バス」があり、時刻表については、2013年12月現在九州のバス時刻表ホームページ,ならびに霧島市ホームページ ・ 霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)でご参照いただけます。また、霧島地域の観光スポットを巡る際には、いわさきコーポレーション(株)霧島・えびの高原定期観光バスもご利用いただけます。
◎   霧島連山周遊バス   ○   丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)−えびの高原地図>霧島連山韓国岳えびの高原登山口,  えびの高原最寄り)−高千穂河原地図>霧島連山中岳高千穂河原登山口,  高千穂峰登山口,  霧島神宮古宮址,  高千穂河原ビジターセンター最寄り)−丸尾地図
◎   霧島・えびの高原定期観光バス   ○   2013年12月現在いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト ・ バスのご案内 ・ 定期観光バス  ・ 霧島・えびの高原定期観光バス 時刻表(&案内:PDF版)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課) ・ バスご利用の方ご参照。もしも将来リンク切れになったら、(社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   霧島市ホームページ ・ 「観光案内:市内の交通案内 ・ 霧島遊めぐりバスマップダウンロード・ページ」,または霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、霧島市ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。


(当HP内の)「龍馬ハネムーンウォークin霧島」案内
(リンク先は当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内の当該観光スポット紹介欄。公式WEBサイトは龍馬ハネムーンウォークin霧島 公式サイトです。)

(当HP内の)霧島いわさきホテル入湯記
(当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内でも紹介しています。)

(当HP内の)硫黄谷温泉霧島ホテル入湯記
(当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内でも紹介しています。)

(当HP内の)旅行人山荘入湯記

(当HP内の)霧島国際ホテル入湯記

(当HP内の)霧島スパヒルズ(旧「霧島第一ホテル スパヒルズ」)入湯記

(当HP内の)静流荘入湯記

(当HP内の)前田温泉カジロが湯入湯記(日帰り温泉立ち寄り湯)

(当HP内の)喫茶店「詩の樹(うたのき)」訪問記
「詩の樹」は、日帰り温泉施設「前田温泉カジロが湯」併設の喫茶店です。)

(当HP内の)新湯温泉・霧島新燃荘入湯記

(当HP内の)野々湯温泉入湯記

(当HP内の)霧島温泉郷案内など(当HP内の)霧島温泉案内
霧島温泉郷は、霧島温泉の中の温泉郷の1つです。上述(先述)の入湯記を載せた各温泉施設以外の霧島温泉の温泉施設については、この(当HP内の)霧島温泉案内のページ(画面)でご参照いただけます。)

(当HP内の)妙見温泉・田島本館入湯記
(当HP内の妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内のページ(画面)との重複掲載です。また、妙見温泉など新川渓谷温泉郷エリアには、鹿児島空港,  JR九州 ・ JR日豊本線 ・ 隼人駅特急きりしま,  観光特急「はやとの風」停車駅),JR九州 ・ JR肥薩線 ・ 嘉例川駅観光特急「はやとの風」停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える妙見温泉バス(妙見路線バス;旧・温泉バス)に乗り換える、或いは、JR九州 ・ 日豊本線 ・ 国分駅地図)(特急きりしま停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える、いわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワーク「霧島−妙見・日当山−国分」線の路線バスに乗り換える、等の方法で、行くことができます。)

(当HP内の)妙見温泉・妙見田中会館入湯記
(当HP内の妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内のページ(画面)との重複掲載です。また、妙見温泉など新川渓谷温泉郷エリアには、鹿児島空港,  JR九州 ・ JR日豊本線 ・ 隼人駅特急きりしま,  観光特急「はやとの風」停車駅),JR九州 ・ JR肥薩線 ・ 嘉例川駅観光特急「はやとの風」停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える妙見温泉バス(妙見路線バス;旧・温泉バス)に乗り換える、或いは、JR九州 ・ 日豊本線 ・ 国分駅地図)(特急きりしま停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える、いわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワーク「霧島−妙見・日当山−国分」線の路線バスに乗り換える、等の方法で、行くことができます。)

(当HP内の)妙見温泉・湯治の宿妙見館・妙見元湯入湯記
(当HP内の妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内のページ(画面)との重複掲載です。また、妙見温泉など新川渓谷温泉郷エリアには、鹿児島空港,  JR九州 ・ JR日豊本線 ・ 隼人駅特急きりしま,  観光特急「はやとの風」停車駅),JR九州 ・ JR肥薩線 ・ 嘉例川駅観光特急「はやとの風」停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える妙見温泉バス(妙見路線バス;旧・温泉バス)に乗り換える、或いは、JR九州 ・ 日豊本線 ・ 国分駅地図)(特急きりしま停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える、いわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワーク「霧島−妙見・日当山−国分」線の路線バスに乗り換える、等の方法で、行くことができます。)

(当HP内の)日の出温泉きのこの里入湯記(温泉+そば屋+喫茶店)
(当HP内の妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内のページ(画面)との重複掲載です。また、妙見温泉など新川渓谷温泉郷エリアには、鹿児島空港,  JR九州 ・ JR日豊本線 ・ 隼人駅特急きりしま,  観光特急「はやとの風」停車駅),JR九州 ・ JR肥薩線 ・ 嘉例川駅観光特急「はやとの風」停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える妙見温泉バス(妙見路線バス;旧・温泉バス)に乗り換える、或いは、JR九州 ・ 日豊本線 ・ 国分駅地図)(特急きりしま停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える、いわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワーク「霧島−妙見・日当山−国分」線の路線バスに乗り換える、等の方法で、行くことができます。)

(当HP内の)塩浸温泉龍馬公園案内(訪問時は前身施設「塩浸温泉福祉の里」)
(当HP内の妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内のページ(画面)との重複掲載です。当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内でも紹介しています。)

(当HP内の)妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内
(上述(先述)の温泉施設以外の妙見温泉など新川渓谷温泉郷の温泉施設については、この(当HP内の)妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内のページ(画面)でご参照いただけます。妙見温泉など新川渓谷温泉郷は、霧島連山山麓・霧島エリアの霧島市牧園町地域における、霧島温泉霧島温泉郷等)以外の温泉地です。また、妙見温泉など新川渓谷温泉郷エリアには、鹿児島空港,  JR九州 ・ JR日豊本線 ・ 隼人駅特急きりしま,  観光特急「はやとの風」停車駅),JR九州 ・ JR肥薩線 ・ 嘉例川駅観光特急「はやとの風」停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える妙見温泉バス(妙見路線バス;旧・温泉バス)に乗り換える、或いは、JR九州 ・ 日豊本線 ・ 国分駅地図)(特急きりしま停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える、いわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワーク「霧島−妙見・日当山−国分」線の路線バスに乗り換える、等の方法で、行くことができます。)

(当HP内の)和気神社訪問記
(当HP内の隼人・国分・姶良地域観光案内のページ(画面) ・ 霧島市欄との重複掲載です。当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内でも紹介しています。)

(当HP内の)犬飼滝訪問記
(当HP内の隼人・国分・姶良地域観光案内のページ(画面) ・ 霧島市欄との重複掲載です。当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内でも紹介しています。)

丸尾の滝
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課)でも丸尾滝として(リンク崎URLは2013年8月現在)MAPPLE観光ガイドでも丸尾滝として紹介されています。)

花房滝
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。MAPPLE観光ガイドでも花房滝として紹介されています。)

霧島温泉市場
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。(狭義の)霧島温泉郷にある、観光案内所がある物産館。旧称施設・霧島湯けむり広場パライソ(PARAISO)の後身であり、足湯があります。霧島市ホームページでも各物産館の情報の中で(リンク先URLは2011年4月現在)>の中で紹介されています。)

旧霧島スカイライン(大浪池)
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。霧島スカイラインとは宮崎県道・鹿児島県道1号小林えびの高原牧園線が、かつて有料道路だった時の道路の名称で、紅葉の名所スポットとして知られています。MAPPLE観光ガイドでもhttp://www.mapple.net/spots/G04601070801.htmとして紹介されています。)

農土家園(のどかえん)
楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県でも農土家園として紹介されています。)

霧島高原国民休養地 : 霧島高原国民休養地公式WEBサイト
霧島高原国民休養地公式facebookページもあります。楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県でも霧島高原国民休養地として紹介されています。アット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図いつもNAVIの地図で場所を示せば、霧島高原国民休養地の場所のとおり。住所:〒 899-6603 鹿児島県霧島市牧園町高千穂3311,Tel.:0995-78-2004。鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課)でも霧島高原国民休養地として(リンク先URLは2015年10月現在)(公社)霧島市観光協会でも霧島高原国民休養地として(リンク先URLは2015年10月現在)(公社)霧島市観光協会「きりしまゆ旅」でも霧島高原国民休養地として(リンク先URLは2015年10月現在)、紹介されています。
  
霧島高原国民休養地の最寄りには、霧島国際音楽ホール みやまコンセールがあります。)

霧島国際音楽ホール みやまコンセール : 霧島国際音楽ホール みやまコンセール公式WEBサイト
  
霧島国際音楽祭 : 霧島国際音楽祭公式WEBサイト(Kirishima international Music Festival)
楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県でもみやまコンセール(霧島国際音楽ホール)として紹介されています。アット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図いつもNAVIの地図で場所を示せば、みやまコンセールの場所のとおり。住所:〒899-6603 鹿児島県霧島市牧園町高千穂3311-29,Tel.:0995-78-8000。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも霧島国際音楽ホール,  霧島国際音楽祭として紹介されています。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 霧島国際音楽ホール,  霧島国際音楽祭等によれば、
霧島国際音楽ホール みやまコンセールは、霧島国際音楽祭の主会場であるとの由です。NPO法人 きりしま創造舞台 ・ 霧島市民音楽祭映像をユーチューブでによれば、霧島国際音楽ホール みやまコンセールは、霧島市民音楽祭の会場でもあるとの由です。
  
霧島国際音楽ホール みやまコンセールには、みやまコンセール・カフェコーナー(喫茶コーナー)があります。また、霧島国際音楽ホール みやまコンセールの最寄りには、霧島高原国民休養地があります。)

みやまコンセール・カフェコーナー(喫茶コーナー) : NOAH COFFEE(ミヤマコンセール内)
(リンク先はNoah Coffee(ノアコーヒー)公式WEBサイトのサブ・コンテンツで、リンク先URLは2015年10月現在アット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図いつもNAVIの地図で場所を示せば、みやまコンセール・カフェコーナー(喫茶コーナー)の場所のとおり。住所:霧島市牧園町高千穂3311-29 みやまコンセール内カフェコーナー,営業時間:10:00〜16:00,休業日:月曜日(ただし、月曜日が祝日の場合翌日休館日)。霧島国際音楽ホール みやまコンセールでも施設概要の中で紹介されています(リンク先URLは2015年10月現在)
  
みやまコンセール・カフェコーナー(喫茶コーナー)は、霧島温泉の中の霧島温泉郷がある鹿児島県 ・ 鹿児島県 ・ 霧島市牧園町地域にある珈琲店です。霧島国際音楽ホール みやまコンセール ・ 施設概要,  Noah coffee(ノアコーヒー)公式WEBサイト ・ NOAH COFFEE(ミヤマコンセール内)によれば、2015年10月現在みやまコンセール・カフェコーナー(喫茶コーナー)は、霧島市牧園町地域霧島国際音楽ホール みやまコンセールカフェコーナー(喫茶コーナー)であり、鹿児島県の温泉地「日当山温泉ひなたやまおんせん」(霧島市隼人町地域)にある珈琲店「Noah Coffee(ノアコーヒー)」が運営しているとの由です。)

霧島高原まほろばの里
楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県でも霧島高原まほろばの里「がらすの舘」として、全国旅そうだんでも霧島高原まほろばの里として紹介されています。)

霧島高原乗馬クラブの場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図いつもガイドの地図。(社)全国乗馬倶楽部振興協会公式WEBサイト ・ 全国の乗馬クラブ ・ 南九州でも霧島高原乗馬クラブとして(リンク先URLは2011年4月現在)プチたびでも霧島高原乗馬クラブとして、全国旅そうだんでも霧島高原乗馬クラブとして、じゃらんネットでも霧島高原乗馬クラブとして、まるごと霧島.comでも霧島高原乗馬クラブとして紹介されています。)

県立霧島自然ふれあいセンターの場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図いつもガイドの地図。鹿児島県ホームページの公式ページとしては鹿児島県立霧島自然ふれあいセンターとして(リンク先URLは2010年8月現在)全国旅そうだんでも県立霧島自然ふれあいセンターとして紹介されています。)

焼肉厨房 わきもと
(リンク先はぐるなびのサブ・コンテンツ。きりなびでも焼肉厨房 わきもととして紹介されています。)

○   【楽天GORA】鹿児島県のゴルフ場一覧
○   【楽天GORA】霧島ゴルフクラブ  (鹿児島県霧島市旧牧園町)
<注:以下の各ゴルフ場は霧島観光の地域外です>
○   【楽天GORA】入来城山ゴルフ倶楽部  (薩摩川内市入来町浦之名)
(この地域外ですが、かつて城山観光ホテル経営だったゴルフ場であり、個人的に城山観光ホテルの大ファンですので、載せておきます。)
○   【楽天GORA】島津ゴルフ倶楽部  (鹿児島市宮之浦町)
(この地域外ですが、個人的に尚古集成館,  島津家別邸:名勝 仙巌園(磯庭園),  野天風呂 薩摩いろはの湯などを運営する島津興業グループのファンですので、載せておきます。)
○   【楽天GORA】いぶすきゴルフクラブ  (鹿児島県指宿市開聞川尻)
(この地域外ですが、個人的に指宿いわさきホテル,  霧島いわさきホテル,  屋久島いわさきホテルなどいわさきグループのファンですので、載せておきます。)
○   【楽天GORA】コスモリゾート種子島ゴルフクラブ
(この地域外ですが、個人的に指宿いわさきホテル,  霧島いわさきホテル,  屋久島いわさきホテルなどいわさきグループのファンですので、載せておきます。)


(当HP内の)霧島温泉郷案内など(当HP内の)霧島温泉案内(再掲)
霧島温泉郷は、霧島温泉の中の温泉郷の1つです。)

(当HP内の)妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内(再掲)
妙見温泉など新川渓谷温泉郷は、霧島連山山麓・霧島エリアの霧島市牧園町地域,隼人町地域における、霧島温泉霧島温泉郷等)以外の温泉地です。)

【楽天市場】山形屋オンラインショップ
鹿児島の物産については、【楽天市場】山形屋オンラインショップでもキーワード「鹿児島」の検索結果でお買い求めいただくことが可能です。)

のったりおりたりマイプラン(霧島地区)
(リンク先は、運営するバス会社「いわさきバスネットワーク」のホールディング会社(グループ親会社)・いわさきコーポレーション(株)のサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在。)
ならびに
霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)
(リンク先は霧島市ホームページのサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在google検索結果は、のったりおりたりマイプラン(霧島)です。2013年12月現在「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券で、霧島温泉妙見温泉など新川渓谷温泉郷がある霧島地域の観光スポットを廻るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークの路線バスに乗れる、1日乗り放題の乗車券「のったりおりたりマイプラン(霧島地区)」です。
  
「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券の路線について詳しくは、当画面(当ページ)上方ののったりおりたりマイプラン(霧島地区)紹介欄で、ご参照いただけます。
詳しくは →  当画面(当ページ)上方ののったりおりたりマイプラン(霧島地区)紹介欄


<霧島連山周遊バス&霧島・えびの高原定期観光バス>
霧島地域の観光スポットを巡るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークのバス路線の内、「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券対象外かも知れない路線には「霧島連山周遊バス」があり、時刻表については、2013年12月現在九州のバス時刻表ホームページ,ならびに霧島市ホームページ ・ 霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)でご参照いただけます。また、霧島地域の観光スポットを巡る際には、いわさきコーポレーション(株)霧島・えびの高原定期観光バスもご利用いただけます。
◎   霧島連山周遊バス   ○   丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)−えびの高原地図>霧島連山韓国岳えびの高原登山口,  えびの高原最寄り)−高千穂河原地図>霧島連山中岳高千穂河原登山口,  高千穂峰登山口,  霧島神宮古宮址,  高千穂河原ビジターセンター最寄り)−丸尾地図
◎   霧島・えびの高原定期観光バス   ○   2013年12月現在いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト ・ バスのご案内 ・ 定期観光バス  ・ 霧島・えびの高原定期観光バス 時刻表(&案内:PDF版)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課) ・ バスご利用の方ご参照。もしも将来リンク切れになったら、(社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   霧島市ホームページ ・ 「観光案内:市内の交通案内 ・ 霧島遊めぐりバスマップダウンロード・ページ」,または霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、霧島市ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。



当画面(当ページ)内の目次
当画面(当ページ)の先頭(トップ)へ
鹿児島県
霧島市 霧島町地域 牧園町地域
隼人町地域 霧島市他地域
(当HP内の別画面(別ページ))
湧水町 栗野町地域 吉松町地域
宮崎県
えびの市 えびの市
小林市 小林市地域 須木村地域
(すきそん)
野尻町地域
高原町 高原町
都城市 都城市地域 山田町地域
高崎町地域 高城町地域
山之口町地域
三股町 三股町
隣接エリアを紹介する、当ホームページ内の別ページ
隼人・国分・姶良地域観光案内 > 霧島市
鹿児島県 ・ 霧島市の、当画面(当ページ)で紹介していない地域は、このリンク先でご参照いただけます。)




霧島市隼人町地域>

(当HP内の)特集:「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内(再掲)

(当HP内の)九州新幹線乗車記
(終点の鹿児島中央駅JR日豊本線特急きりしまに乗り換えるか、或いは、鹿児島中央駅JR日豊本線経由でJR肥薩線に行く観光特急「はやとの風」に乗り換えれば、霧島温泉エリアに行けます。)

(当HP内の)観光特急「はやとの風」乗車記(兼)交通・観光案内(肥薩線の旅)
→   霧島温泉へは、九州新幹線の終点・鹿児島中央駅JR日豊本線経由でJR肥薩線に行く観光特急「はやとの風」に乗り換えてJR肥薩線 ・ 霧島温泉駅に行き、霧島温泉駅から霧島いわさきホテル行きのいわさきバスネットワークのバスに乗り換えれば行けます。いわさきバスネットワークの時刻表は、以下のリンク先サイトでご参照可能です。
九州のバス時刻表

交通ナビかごしま

(当HP内の)「龍馬ハネムーンウォークin霧島」案内
(リンク先は当HP内の特集ページ「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内の当該観光スポット紹介欄。公式WEBサイトは龍馬ハネムーンウォークin霧島 公式サイトです。)

(当HP内の)妙見石原荘入湯記
(当HP内の妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内のページ(画面)との重複掲載です。また、妙見温泉など新川渓谷温泉郷エリアには、鹿児島空港,  JR九州 ・ JR日豊本線 ・ 隼人駅特急きりしま,  観光特急「はやとの風」停車駅),JR九州 ・ JR肥薩線 ・ 嘉例川駅観光特急「はやとの風」停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える妙見温泉バス(妙見路線バス;旧・温泉バス)に乗り換える、或いは、JR九州 ・ 日豊本線 ・ 国分駅地図)(特急きりしま停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える、いわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワーク「霧島−妙見・日当山−国分」線の路線バスに乗り換える、等の方法で、行くことができます。)

(当HP内の)妙見温泉・味の宿どさんこ入湯記
(当HP内の妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内のページ(画面)との重複掲載です。また、妙見温泉など新川渓谷温泉郷エリアには、鹿児島空港,  JR九州 ・ JR日豊本線 ・ 隼人駅特急きりしま,  観光特急「はやとの風」停車駅),JR九州 ・ JR肥薩線 ・ 嘉例川駅観光特急「はやとの風」停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える妙見温泉バス(妙見路線バス;旧・温泉バス)に乗り換える、或いは、JR九州 ・ 日豊本線 ・ 国分駅地図)(特急きりしま停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える、いわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワーク「霧島−妙見・日当山−国分」線の路線バスに乗り換える、等の方法で、行くことができます。)

(当HP内の)妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内のページ(画面)(再掲)
妙見温泉など新川渓谷温泉郷は、霧島連山山麓・霧島エリアの霧島市牧園町地域,隼人町地域における、霧島温泉霧島温泉郷等)以外の温泉地です。上記で入湯記を載せた温泉施設以外の妙見温泉など新川渓谷温泉郷の温泉施設については、このリンク先でご参照いただけます。また、妙見温泉など新川渓谷温泉郷エリアには、鹿児島空港,  JR九州 ・ JR日豊本線 ・ 隼人駅特急きりしま,  観光特急「はやとの風」停車駅),JR九州 ・ JR肥薩線 ・ 嘉例川駅観光特急「はやとの風」停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える妙見温泉バス(妙見路線バス;旧・温泉バス)に乗り換える、或いは、JR九州 ・ 日豊本線 ・ 国分駅地図)(特急きりしま停車駅)から、のったりおりたりマイプラン(霧島地区)が使える、いわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワーク「霧島−妙見・日当山−国分」線の路線バスに乗り換える、等の方法で、行くことができます。)

(当HP内の)熊襲の穴訪問記
(当HP内の隼人・国分・姶良地域観光案内のページ(画面)との重複掲載です。)

嘉例川駅
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも嘉例川駅として紹介されています。嘉例川駅は、観光特急「はやとの風」等の肥薩線の旅でお楽しみいただけます。すぐ最寄りに 物産館「かれい川ふれあい館」があります。(当HP内の)「隼人・国分・姶良地域観光案内」との重複掲載です。)

物産館「かれい川ふれあい館」の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。住所:霧島市隼人町嘉例川2170-3。Tel.:0995-43-9124。日曜日のみ営業さくらじまネット21-公益社団法人 鹿児島県農業・農村振興協会- ・ 農産物直売所マップ でも姶良・伊佐エリアの中で、たふたふと探題ふでも嘉例川の思い出は椎茸の重さとともにの中で、温泉気まま旅でも大隅横川駅〜嘉例川駅 [鹿児島の観光]の中で紹介されています。嘉例川駅のすぐ前(対面)にあります。(当HP内の)「隼人・国分・姶良地域観光案内」との重複掲載です。)

霧島市隼人町地域の観光スポットや温泉地でも、平野部の観光スポットや温泉地については、以下のリンク先をご覧下さい。
平野部は  →  ○   (当HP内の)隼人・国分・姶良地域観光案内
○   (当HP内の)日当山温泉案内
○   (当HP内の)国分,隼人,姶良地区の温泉案内

のったりおりたりマイプラン(霧島地区)
(リンク先は、運営するバス会社「いわさきバスネットワーク」のホールディング会社(グループ親会社)・いわさきコーポレーション(株)のサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在。)
ならびに
霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)
(リンク先は霧島市ホームページのサブ・コンテンツで、リンク先URLは2013年12月現在google検索結果は、のったりおりたりマイプラン(霧島)です。2013年12月現在「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券で、霧島温泉妙見温泉など新川渓谷温泉郷がある霧島地域の観光スポットを廻るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークの路線バスに乗れる、1日乗り放題の乗車券「のったりおりたりマイプラン(霧島地区)」です。
  
「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券の路線について詳しくは、当画面(当ページ)上方ののったりおりたりマイプラン(霧島地区)紹介欄で、ご参照いただけます。
詳しくは →  当画面(当ページ)上方ののったりおりたりマイプラン(霧島地区)紹介欄


<霧島連山周遊バス&霧島・えびの高原定期観光バス>
霧島地域の観光スポットを巡るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークのバス路線の内、「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券対象外かも知れない路線には「霧島連山周遊バス」があり、時刻表については、2013年12月現在九州のバス時刻表ホームページ,ならびに霧島市ホームページ ・ 霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)でご参照いただけます。また、霧島地域の観光スポットを巡る際には、いわさきコーポレーション(株)霧島・えびの高原定期観光バスもご利用いただけます。
◎   霧島連山周遊バス   ○   丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)−えびの高原地図>霧島連山韓国岳えびの高原登山口,  えびの高原最寄り)−高千穂河原地図>霧島連山中岳高千穂河原登山口,  高千穂峰登山口,  霧島神宮古宮址,  高千穂河原ビジターセンター最寄り)−丸尾地図
◎   霧島・えびの高原定期観光バス   ○   2013年12月現在いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト ・ バスのご案内 ・ 定期観光バス  ・ 霧島・えびの高原定期観光バス 時刻表(&案内:PDF版)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課) ・ バスご利用の方ご参照。もしも将来リンク切れになったら、(社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   霧島市ホームページ ・ 「観光案内:市内の交通案内 ・ 霧島遊めぐりバスマップダウンロード・ページ」,または霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、霧島市ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。



当画面(当ページ)内の目次
当画面(当ページ)の先頭(トップ)へ
鹿児島県
霧島市 霧島町地域 牧園町地域
隼人町地域 霧島市他地域
(当HP内の別画面(別ページ))
湧水町 栗野町地域 吉松町地域
宮崎県
えびの市 えびの市
小林市 小林市地域 須木村地域
(すきそん)
野尻町地域
高原町 高原町
都城市 都城市地域 山田町地域
高崎町地域 高城町地域
山之口町地域
三股町 三股町
隣接エリアを紹介する、当ホームページ内の別ページ
隼人・国分・姶良地域観光案内 > 霧島市
鹿児島県 ・ 霧島市の、当画面(当ページ)で紹介していない地域は、このリンク先でご参照いただけます。)




霧島市・その他>

(当HP内の)特集:「坂本龍馬・おりょうの日本初の新婚旅行(日本初のハネムーン)」ゆかりの観光スポット案内(再掲)

(当HP内の)霧島温泉案内(再掲)

(当HP内の)妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内(再掲)
妙見温泉など新川渓谷温泉郷は、霧島連山山麓・霧島エリアの霧島市牧園町地域,隼人町地域における、霧島温泉霧島温泉郷等)以外の温泉地です。)

霧島市の観光スポットや温泉地でも、平野部の観光スポットや温泉地については、以下のリンク先をご覧下さい(再掲)
平野部は  →  ○   (当HP内の)隼人・国分・姶良地域観光案内
○   (当HP内の)日当山温泉案内
○   (当HP内の)国分,隼人,姶良地区の温泉案内

鹿児島の風と共に
(観光スポットではなく、このエリアの紹介サイトです。観光特急「はやとの風」で行く鹿児島中央〜吉松間の自然と歴史を満喫できる町と私のオススメを紹介しています。)

霧島
(リンク先は「宮崎あっち、こっち」ホームページ運営会社・海産物 くま屋による霧島案内のホームページです。)

【楽天市場】山形屋オンラインショップ
鹿児島の物産については、【楽天市場】山形屋オンラインショップでもキーワード「鹿児島」の検索結果でお買い求めいただくことが可能です。)

ご宿泊先と観光・物産案内は、以下のリンク先でお探しいただけます。
温泉天国・鹿児島温泉紹介!
(当WEBサイト)
(当HP内の)霧島温泉案内
(当HP内の)妙見温泉など新川渓谷温泉郷案内
【楽天トラベル・全国温泉宿予約】霧島温泉  空室検索
【楽天トラベル・全国温泉宿予約】霧島温泉  温泉宿一覧
【楽天トラベル・全国温泉宿予約】妙見温泉  温泉宿一覧
【楽天トラベル・全国温泉宿予約】妙見新川温泉  温泉宿一覧
【楽天トラベル】大隅地方(霧島・国分・志布志・鹿屋・内之浦)のホテル・旅館
(注:温泉宿以外のホテル・旅館・民宿・ペンションも含みます)
【楽天トラベル・ANA楽パック】大隅地方(霧島・国分・志布志・鹿屋・内之浦)のホテル・旅館
(注:温泉宿以外のホテル・旅館・民宿・ペンションも含みます)
【楽天トラベル・JAL楽パック】大隅地方(霧島・国分・志布志・鹿屋・内之浦)のホテル・旅館
(注:温泉宿以外のホテル・旅館・民宿・ペンションも含みます)
【楽天トラベル・たびノート】霧島・国分の観光スポットの観光スポット(大隅半島全般も含みます)
【楽天トラベル・旅コミ】大隅地方(霧島・国分・志布志・鹿屋・内之浦)のクチコミ観光情報




当画面(当ページ)内の目次
当画面(当ページ)の先頭(トップ)へ
鹿児島県
霧島市 霧島町地域 牧園町地域
隼人町地域 霧島市他地域
(当HP内の別画面(別ページ))
湧水町 栗野町地域 吉松町地域
宮崎県
えびの市 えびの市
小林市 小林市地域 須木村地域
(すきそん)
野尻町地域
高原町 高原町
都城市 都城市地域 山田町地域
高崎町地域 高城町地域
山之口町地域
三股町 三股町
隣接エリアを紹介する、当ホームページ内の別ページ
隼人・国分・姶良地域観光案内 > 霧島市
鹿児島県 ・ 霧島市の、当画面(当ページ)で紹介していない地域は、このリンク先でご参照いただけます。)






<霧島観光案内:鹿児島県湧水町

湧水町ホームページ
(旧・栗野町,旧・吉松町。サブ・コンテンツとして、観光情報 春・夏観光情報 秋・冬湧水町観光マップ史跡があります。)

霧島山麓湧水町観光協会

霧島山麓湧水町観光協会のブログ
(記事の中には、例えば湧水町観光協会 等があります。)

姶良郡(あいらぐん) ・ 湧水町
(リンク先はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のサブ・コンテンツ。平成17年(2005)年3月22日に、栗野町吉松町が合併して成立した、霧島連山北西の山麓地域の町です。町名は、旧栗野町丸池湧水や旧吉松町竹中池公園等の、霧島山に湧く豊富な湧水(湧き水)に由来しています。)


湧水町平成の大合併前の市町村ごとの、当画面(ページ)内の目次
栗野町地域 吉松町地域




湧水町旧栗野町地域>

(当HP内の)九州新幹線乗車記
(終点の鹿児島中央駅JR日豊本線経由でJR肥薩線に行く観光特急「はやとの風」に乗り換えれば、湧水町に行けます。)

(当HP内の)観光特急「はやとの風」乗車記(兼)交通・観光案内(肥薩線の旅)(再掲)

(当HP内の)栗野岳温泉南洲館入湯記

(当HP内の)湧水町旧栗野町地域の温泉案内
(リンク先は(当HP内の)霧島温泉案内のページ(画面)の該当箇所。栗野岳温泉南洲館以外の旧栗野町の温泉施設については、このリンク先でご参照いただけます。)

丸池湧水
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課)でも霧島山麓丸池湧水として(リンク先URLは2013年8月現在)全国旅そうだんでも霧島山麓丸池湧水として、MAPPLE観光ガイドでも丸池湧水として、星降る街の物語(ブログ)でも湧水町の丸池湧水として紹介されています。名水百選に選ばれています。丸池湧水名水百選),幸田の棚田日本の棚田百選),筒羽野の疏水疏水百選)は、湧水町の3百選と呼ばれています。湧水町商工会ホームページ ・ 「日本名水百選の丸池から生まれたミネラルウォーター」のページ(画面),  霧島山麓湧水町観光協会のブログ - Yahoo!ブログ「湧水町の特産品:丸池湧水(ミネラルウォーター)」によれば(リンク先URLは2011年11月現在)、平成21年(2009年)10月28日から、ミネラルウォーター「丸池湧水」の販売を開始したとの由です。自動販売機設置場所は、例えば湧水町商工会前(地図(この辺り))等との由で、それ以外のリアル・ワールドでの販売場所については、2011年11月現在湧水町商工会ホームページ ・ 「日本名水百選の丸池から生まれたミネラルウォーター」のページ(画面)でご参照いただけます。)

はなしょうぶ園三日月池,  三日月池のハナショウブ
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。霧島山麓湧水町観光協会でも三日月池 ノハナショウブとして、全国旅そうだんでも全国旅そうだん" target="_blank">ノハナショウブ自生南限地として紹介されています。)

STUDIO ART KIRISHIMA霧島芸術工房&霧島アート牧場
楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県でもフィール ド アート 栗野岳ログ・キャンプ村として紹介されています。)

霧島アートの森
楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県でも鹿児島県霧島アートの森として紹介されています。)

栗野岳レクリエーション村の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。姶良郡湧水町木場。Tel.:0995-74-3111。私と鹿児島 でも栗野岳レクリエーション村(日本一の枕木階段がある) 湧水町 として、霧島山麓湧水町観光協会でも観光スポットの中で紹介されています。廃線になったJR山野線の枕木を領した「日本一の枕木階段」があります。)

栗野岳の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。全国旅そうだんでも栗野岳として、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも栗野岳として紹介されています。登山情報としては、海産物・くま屋 ・ 霧島でも栗野岳,  栗野岳 登山MAPとして、九州山登り 山とおばさんでも栗野岳として、好日山荘(こうじつさんそう) ・ 登山情報検索でも鹿児島県 栗野岳として紹介されています。)

湧水町くりの物産館の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。鹿児島県姶良郡湧水町米永405-1。Tel.:0995-74-2908。全国旅そうだんでもくりの物産館として、じゃらんnetでもくりの物産館として、goo地域でも[市区町村機関] 湧水町役場 くりの物産館 - 鹿児島として紹介されています。)

幸田の棚田の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。鹿児島県粟野町幸田。里山保全再生ネットワークでも鹿児島県「幸田の棚田」として(リンク先URLは2011年4月現在)霧島山麓湧水町観光協会でも日本棚田百選「幸田の棚田」として(リンク先URLは2011年4月現在)、紹介されています。日本の棚田百選に選ばれた棚田で、かごしま よかとこ100選にも選ばれています。丸池湧水名水百選),幸田の棚田日本の棚田百選),筒羽野の疏水疏水百選)は、湧水町の3百選と呼ばれています。)

(当HP内の)湧水町旧栗野町地域の温泉案内
(リンク先は(当HP内の)霧島温泉案内のページ(画面)の該当箇所。栗野岳温泉南洲館以外の旧栗野町の温泉施設については、このリンク先でご参照いただけます。)


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鹿児島県
霧島市 霧島町地域 牧園町地域
隼人町地域 霧島市他地域
(当HP内の別画面(別ページ))
湧水町 栗野町地域 吉松町地域
宮崎県
えびの市 えびの市
小林市 小林市地域 須木村地域
(すきそん)
野尻町地域
高原町 高原町
都城市 都城市地域 山田町地域
高崎町地域 高城町地域
山之口町地域
三股町 三股町
隣接エリアを紹介する、当ホームページ内の別ページ
隼人・国分・姶良地域観光案内 > 霧島市
鹿児島県 ・ 霧島市の、当画面(当ページ)で紹介していない地域は、このリンク先でご参照いただけます。)




栗野城跡(松尾城跡)の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。鹿児島県姶良郡湧水町木場。全国旅そうだんでも松尾城跡として、 じゃらんnetでも松尾城跡として、鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課)でも松尾城跡(まつおじょうあと)として(リンク先URLは2013年4月現在)南日本新聞ホームページ「373news.com」 ・ さつま人国誌でも島津義弘と栗野城として(リンク先URLは2013年4月現在)城郭放浪記でも大隅・栗野城として、Samurai Worldサムライワールド ・ 古城紀行でも栗野城跡として、+いもごじょ+(ブログ)でも栗野松尾城として、よりみち文化財(ブログ)でも南九州唯一の山城 〜松尾城(栗野城)跡として、江戸の名残/江戸の名残香を訪ねて ・ 鹿児島の麓でも栗野麓の中で紹介されています。
  
栗野城跡鹿児島県 ・ 姶良郡 ・ 湧水町栗野町地域にある山城・栗野城の跡で、栗野城は別名を松尾城とも言います。安土桃山時代の天正15(1587)年から文禄4(1595)年までの間、島津義弘公の城だったため、戦国武将・島津義弘公の居城の一つとして、九州戦国史で知られている城です。宮崎県 ・ えびの市にある飯野城跡(亀城公園)加久藤城跡の、関連スポットでもあります。
  現在の湧水町栗野町地域の地域は、元々は鹿児島県 ・ 大隅地方国人 ・ 肝付氏庶流(分家)の一族・北原氏の支配地でした。詳しくは
(当画面(当ページ)下方の)飯野城案内欄で述べますが、北原氏真幸院(まさきいん)(今日の宮崎県 ・ えびの市,  小林市)を本領としており、戦国時代前半には合従連衡的に時期によってめまぐるしく敵味方を代えた戦をしましたが、主に、日向国の反島津氏派の国人戦国大名伊東氏と呼応した動きを採ることが多かったものの、紆余曲折の結果、島津方に転じました。ところが、伊東義祐の圧迫を受けたりした結果、北原兼親は、真幸院の本領を維持することが難しくなってしまったとの由です。この事態を憂えた島津貴久公が永禄7年(1564年)に、薩摩国伊集院(現・日置市伊集院町地域)の神殿(こどん)村に30町歩の領地を与えて、北原兼親を移住させたため、北原氏日向国 ・ 真幸院戦国武将の座を失うに至ったとの由です。
  南日本新聞ホームページ「373news.com」 ・ さつま人国誌 ・ 島津義弘と栗野城によれば(リンク先URLは2013年4月現在)
栗野城は、後述する島津義弘公の栗野城築城以前にも城があって北原氏の城であったとの由ですが、北原氏勢力圏下の城だった時期の栗野城の歴史については、調べてみましたがよく分かりませんでした。栗野(現・湧水町栗野町地域)については、隣接する現在の霧島市横川町地域については、上記のような経緯の過程で、横川城北原伊勢介・新助親子が、北原氏宗家の北原兼親が真幸院を失った時期に先立つ永禄5年(1562年)に、(宗家の北原兼親の島津氏への臣従の方針に反して)島津氏に叛いたため、島津義弘公,  歳久公が横川城を攻めて落城させて、横川城菱刈(ひしかり)大和守重猛に与え、その一族の菱刈中務が横川城の城主になりました。ところが、今度は菱刈氏が、永禄10年(1567年)に重猛の弟・菱刈隆秋指導下に島津氏に叛いてしまい、菱刈中務もこれに呼応してしまいました。島津氏が、菱刈(現・伊佐市菱刈町地域)の馬越(まごし)城を攻め落とすと、菱刈中務は横川城を捨てて逃亡し、横川城周辺は島津氏の手に戻り、島津氏は廃城になったとの由です。この時期の栗野城については、仮に隣接する横川城の勢力圏であったものと仮定すれば横川城に共連れで、栗野の支配者が変わっていったのではないかと推測しますが(注:これは推測であり、確認した上での事実ではありません。誤解を避けるべく念のため)横川城の動向とは無関係に北原氏没落のいずれかの過程で島津氏の城になった可能性も否定できません。いずれにせよ、元々は北原氏勢力圏であった栗野の地は、北原氏没落の結果、最終的には島津氏直轄地域になった模様です。余談ながら菱刈隆秋は、馬越城落城の地も大口(現・伊佐市大口市地域)の大口城を拠点にして島津氏に激しく抵抗しましたが、、永禄12年(1569年)に菱刈隆秋は島津氏に敗れて、大口城島津氏の城となり、島津氏家臣の新納(にいろ)忠元が大口の地頭として大口城の城主になりました。
  島津貴久公は、「永禄4年(1561年)の
廻城めぐりじょうの戦いで勝ちはしたものの島津忠将が戦死した」等の肝付氏からの攻勢激化状況に対応して、永禄5年(1562年)に、島津氏庶流の豊州島津家の養子になって日向国(概ね現・宮崎県)南部の飫肥城おびじょう,  解説,  地図伊東氏から防衛する任に就いていた次男の島津義弘公を呼び戻さざるを得なくなりました。島津義弘公は、日向国 ・ 真幸院(今日の宮崎県 ・ えびの市,  小林市)を伊東氏から防衛する任に就くことになり、永禄7年(1564年)に、北原氏去りし後の飯野城城主になりました。島津義弘公は島津貴久公の次男で、父の貴久公や兄で島津氏宗家第16代当主の島津義久公を助けて、島津氏の三州(薩摩国,  大隅国,  日向国)統一に貢献しました。島津義弘公は飯野城に在城し、元亀3年(1572年)には木崎原の戦い(戦場跡は木崎原古戦場跡)で伊東氏を打ち負かしたりした結果、真幸院から伊東義祐の勢力を駆逐することに成功しました。島津氏の三州(薩摩国,  大隅国,  日向国)の領国内統一の最末期や、ほぼ完成直前まで行った島津氏による九州制圧の時期や、天正14年(1586年)7月〜同15年(1587年)4月の豊臣秀吉九州征伐(九州平定)の頃の島津義弘公の居城は、真幸院の、今日の宮崎県 ・ えびの市にあった飯野城です。
  島津氏豊臣秀吉配下になった後、天正18年(1590年)に島津義弘公は
飯野城から栗野(現・湧水町栗野町地域)に移って来て、栗野城を築城しました。これは、これに先立つ天正15年(1987年)に島津氏豊臣秀吉に降伏した際に、豊臣秀吉が、真幸院島津義弘公嫡男で島津氏宗家第16代当主・島津義久公女婿で島津氏後継者の島津久保公(後に朝鮮戦役中に病没)に委ね、島津義弘公に大隅国を宛行(あてが)ったことが、この移住の背景にあります。豊臣秀吉は、島津家中の勢力を分断するべく、島津氏宗家第16代当主・島津義久公を通さずに、島津義弘公、島津久保公に直接領土を宛行うという、嫌がらせにも等しい手を打ったとも言われています(注:本来は、領土を一旦すべて豊臣秀吉島津義久公に宛行った上で、義弘公・久保公父子には義久公から分与するのが筋です)。義弘公・久保公父子は、心ならずも中央日本(豊臣政権)に直接臣従する状況に化してしまいながらもなお、領国内では義久公に臣従する立場を崩さず、領国内分裂を防ぎました。
  島津義弘公は、文禄4年(1595年)に帖佐(ちょうさ,今日の姶良市姶良町地域の帖佐地区)の
帖佐館に移るまでの約5年間、この栗野城に滞城しました。南日本新聞ホームページ「373news.com」 ・ さつま人国誌 ・ 島津義弘と栗野城によれば(リンク先URLは2013年4月現在)栗野城は他の島津氏の山城や九州の山城の建築様式とは異なった建築様式になっているとの由であり、それは具体的には、本丸に石垣があったり、枡形虎口が設けられていたりする点にあるとの由です。これは、織豊系城郭と呼ばれる様式です。栗野城には、「深い空堀で囲まれた、独立性の高い曲輪が並んでいる」という島津氏の山城や九州の山城の建築様式も採用されており、かつ石垣や枡(ます)形虎口が設けられていたのは本丸だけであるため、織豊系城郭としては中途半端な城郭設計になっていたとの由です。独立性の高い曲輪が並んでいる様式とは即ち、家臣団の独立性が高い権力構造を示しているものでもありますので、このことは、有り体に申せば、詳しくは次段落と次々段落で詳述しますが、島津家中は中央日本に比べれば相対的に、中世封建制(Feudalism)からの脱却度合いが弱かった旨を示唆する城郭だということでもあります。とは申せ、島津義弘公は、安土桃山時代豊臣秀吉政権下での島津家中の内政史の上では、豊臣秀吉政権下での島津氏生き残りのために、豊臣秀吉政権の指示する近代化を島津家中に導入するのに苦労したことでも知られている大名です。このような見地にも併せて鑑(かんが)みれば、「栗野城には、島津氏の山城の中では例外的に織豊系城郭の特徴があるが、しかし中途半端な導入であった」旨は、この時期の島津家中の内政史における島津義弘公の状況を象徴的に表した城である、と言えると思います。
  「中世封建制(Feudalism)からの脱却度合い」について、詳しく解説します。世の中には江戸時代の社会を封建制だと誤解したり、或いは、「上の命令に下が逆らえない権力構造」のことを封建的だとしたりするような「モノゴトの捉え方」をする人がいますが、これは封建制に対する認識誤りであると私は思います。少なくとも封建制を、西欧のフューダリズム(Feudalism)に相当する概念として定義する場合、それに相当するのは鎌倉時代室町時代前半の「『御恩と奉公』に基づく武家主従関係」の時代の社会構造メカニズムであり、江戸時代はむしろ、(フューダリズム(Feudalism)ではなく)西欧の絶対王政に相当し、また、そのように「既に封建制を脱却して、封建制ではなくなっっていた社会構造」を一旦経由していたからこそ、明治維新の近代化が社会的に可能だったのだ、と私は考えます。もしも万が一仮に、鎌倉時代そのままの封建制の段階の社会に黒船来航があったと仮定した場合、19世紀的な社会の近代化や近代経済成長なんざぁサラサラ実現不可能ですので、このようなシミュレーションを踏まえてみても、「江戸時代は、既に封建制社会ではなかった」旨が分かります。そもそも、江戸時代には後世に「『サラリーマン武士』と揶揄(やゆ)されることになる、所領を持たない武士」がいましたが、封建制社会においては「所領を持たない武士」などというものは存在し得ない」ため、「所領を持たない武士がいた」という史実は、「江戸時代封建制社会である」旨の仮説モデルに対する反証事例(注)であると考えます。切り口を変えて「江戸時代封建制社会である」旨の仮説モデルを反証すれば(注)江戸時代の武家道徳である武士道には「君君たらずといえども、臣臣たれ」という絶対的な奉公道徳観がありますが、このような発想は「西欧のフューダリズム(Feudalism)に相当する封建制社会」では、あり得ないことです。その理由は、封建制とは即ち「御恩無ければ奉公無し」、言い換えれば「君君たらざれば、臣臣に非ず」という社会だからです。「『君君たらずといえども、臣臣たれ』=『御恩が無くても奉公することが求められる』」旨の江戸時代の武家道徳「武士道」は、「御恩無ければ奉公無し」である「封建制社会に基づく武家道徳」とは180度真逆の発想であるのです。実際、「西欧のフューダリズム(Feudalism)に相当する封建制社会」だった鎌倉時代の武家道徳は後世・江戸時代武士道とは異なるものであり、それは、「兵の道(つわもののみち)」という武家道徳でした。これは、出典は失念しましたが鎌倉幕府御家人として有名な畠山重忠が言ったとされるセリフ「謀反の噂立てらるるこそ、武門の誉れなれ」に象徴されるとおり、正に「君君たらざれば、臣臣に非ず」の極論「君君たらざれば、謀反を超して殺してしまえ」という発想に基づいているものです。このような発想は、どう考えてみても、「君君たらずといえども、臣臣たれ」という「後世の江戸時代の武家道徳である武士道」からは出て来ない発想です(ので、「江戸時代封建制社会」であった旨の「常識の誤り」的な仮説モデル(注)に対する、武家道徳文化の見地からの反証(注)事例になります)。
(注) これらの用語や概念は、カール・ポパー流の実証科学的方法論に基づくものです。カール・ポパー流の実証科学的方法論においては、「実証科学とは、実験・観察事実によって反証可能な仮説モデルを構築し、その仮説モデルが反証されるまでの間は、『まだ間違っていない仮説モデル』として残すものとする。」という方法論です。故に、カール・ポパー流の実証科学的方法論においては、「まだ間違っていない仮説モデル」というものは存在しても、「正しい仮説モデル」というものは、手順・方法論上、存在しません(ただし、これは厳密な定義であり、「言葉のあや」や「文脈」上、便宜的に「正しい」の語を用いる場合は科学的方法論の世界でもありますが、それはあくまでも便宜的なものであり、厳密には、実証科学の世界に「正しい仮説モデル」などというものは存在せず、定説と化した「仮説モデル」でさえも、「後世、実験・観察事実で反証されたら、破棄される」旨を手順上想定した方法論です)。
  また、「世の中の森羅万象全てを明らかにし得るか否か」という見地からはカール・ポパー流の実証科学的方法論においては「実証科学」はその守備範囲上万能なものではなく、「或る仮説を反証し得る実権計画を立てられる仮説」だけが守備範囲として対象であり(これを「反証可能性」と呼びます)、反証可能性の無い命題は、実証科学の守備範囲ではありません。例えば、「ヒトはどのようなメカニズムで生まれて来るのか」は実証科学の守備範囲ですが、「ヒトはいかに生きるべきか」等の命題は実証科学の守備範囲ではなく、後者の類の命題に対しては実証科学によって得られる答など存在しません。
  本稿における、「反証」だとか「仮説モデル」だとかの用語は、このカール・ポパー流の実証科学的方法論に基づいています。また。本稿においては、歴史学についてもカール・ポパー流の実証科学的方法論に基づくものとし、「史実」は「実験・観察事実」に相当する場合に用語として用いた上で、「史実」と「仮説モデル」とを分けて述べています。なお、ここで「実証科学的な歴史学」というスタンス(姿勢)は、いわゆる「日本の戦後の文献批判学」の類とは決して同じ方法論ではありませんので、誤解なさらぬよう、よろしくお願いいたします。「文献批判学」的方法論の問題点について詳しくは、当ホームページ内の
可愛山陵訪問記の感想欄で詳しく述べていますので、そちらでご参照いただけます。
  余談ながら、隣接分野との相違については、「仮説モデル無き事実の羅列」は「ジャーナリズムではあっても実証科学ではない領域の方法論」であり、「事実による反証を方法論として用いない理論モデル」は「哲学ではあっても、実証科学ではない領域の方法論」であり、「理論(=仮説モデル)と実験・観察事実の両方が必要である」点が、「実証科学の、ジャーナリズムや哲学との、方法論上の相違点」になります。

  誤解を避けるべく補足すれば、「江戸時代は『西欧のフューダリズム(Feudalism)に相当する封建制社会』ではなく、『西欧の絶対王政に相当する社会』だった」旨の仮説モデル(注)は、「江戸時代は既に明治時代と同様の中央集権体制だった」旨を意味する訳では、決してありません(誤解を避けるべく、念のため)。「西欧の絶対王政」も中央集権体制が完成された姿ではなく、「『例えば公爵領や伯爵領等の貴族の私領が国内に存在し、国土の全てが絶対専制君主率いる中央政府の直轄領だった訳ではない』という、フューダリズム(Feudalism)の名残」がありました。「日本の江戸時代における、『サラリーマン武士』ではなく、『という名前の中央政府から見れば大名の私領』や、『幕府から見た旗本や、各内の上級家臣や、幕府や各における給人のように所領を持った武士』が存在すること」が「封建制社会の名残である」旨もまた「実験・観察事実(注)(この場合、史実)による反証(注)は、まだされていない仮説モデル(注)」であろうと考えます。「西欧の絶対王政や、江戸時代幕藩体制」は「封建制メカニズムが完全に消滅した社会」ではなく、後世の近代的中央集権国家が実現するまでの間の過渡的な状況であったと見なすのが妥当なところであろうと考えます。このため、近代的中央集権国家が実現するまでの間には、西欧の大陸側では『フランス革命と、その後のナポレオン戦争』」を経由したのであり、日本では「幕府を廃止した明治維新」を経由しました。これらの劇的変化を経て初めて、「封建制社会からは既に脱却していたものの、さはさりながら封建制メカニズムからの脱却度合いはまだ中途半端だった過渡的な、『西欧の絶対王政や、日本の江戸時代幕藩体制』に代わって、近代的中央集権国家になること」が可能になりました。これは、国家がサバイバルする(生存競争で生き残る)ために必要な軍事システムの国家間競争史の見地からは、帝政国家、王政国家、共和制国家の国家統治体制の如何を問わず、欧州のナポレオン戦争や日本の明治維新の後で初めて「国家総動員的な国民軍」が実現した旨が軍事史上知られています。ナポレオン戦争以前の欧州では国民軍はなく傭兵部隊だったり、貴族階級以外は出世できない軍隊だったりしたのですが、「愛国心に基づいた国民で構成される国民軍」の存在の衝撃の影響はフランスだけに留まらず、グナイゼナウシャルンホルスト等によるプロイセン王国の軍事改革を促し、戦略論の古典的名著として有名なクラウゼヴィッツによる戦争論に至っています。このような「国家総動員的な国民軍」は近代的中央集権国家で初めて実現可能なのであり、「西欧の絶対王政や、日本の江戸時代幕藩体制」等では実現不可能なことでした。
(注) これらの用語や概念は、カール・ポパー流の実証科学的方法論に基づくものです。カール・ポパー流の実証科学的方法論については、前段落の注釈欄をご参照願います。

  統治システムや社会構造の変遷史から見た戦国時代の役割は、鎌倉時代室町時代前半の封建制社会から、江戸時代絶対王政的社会への橋渡しを行うものでした。その過程で生じた大名の統治システムの変化とは、「周囲の国人への軍事・警察上の指揮権はあっても、守護が指揮する国人は、主従関係の上では御家人として征夷大将軍直属の家臣ではあって、守護の家臣ではない」鎌倉時代守護から、「大名の家臣は征夷大将軍から見れば陪臣であり、大名は領内では軍事・警察上の指揮権だけでなく、行政権も持っている」江戸時代の近世大名に至るまでの間の大名の領内権力強化の変遷の橋渡し役というものでした。その過程で、国人の被官化が進んで守護領国制となった室町時代守護大名を経て、さらに家臣団化が進んだ戦国大名という具合に、大名が軍事・警察権だけでなくあらゆる行政権も獲得しながら大名領国単位での中央集権化が進んで国人は独立性を失っていきました。上述の「西欧のフューダリズム(Feudalism)に相当する封建制社会」から、「西欧の絶対王政に相当する江戸時代の統治システム」への変化とは、武家の主従関係の見地から見れば、「国人・幕府御家人大名家臣化」ということでもありました。守護大名戦国大名化した場合であれ、国人が成長して戦国大名化した場合であれ、いずれの場合にも、国人の家臣団化編成に成功できた者だけが戦国時代の厳しい生存競争の過程で戦国大名としてサバイバルすることができました。島津氏による三州(薩摩国,  大隅国,  日向国)の領国内統一平定戦も畢竟(ひっきょう)、自らが守護を勤める三国内でも自らの家臣であることを拒否した国内敵対国人を、島津氏家臣団に組み込む過程で生じた戦だ、ということになります。しかし、この家臣団化の度合いは戦国時代でも大名によって異なり、その国内権力集中化度合いは、城の城内の各屋敷・曲輪の上でも集中化度合い(逆に申せば分散化度合い)の相違という体裁で表面化します。南日本新聞ホームページ「373news.com」 ・ さつま人国誌 ・ 島津義弘と栗野城(リンク先URLは2013年4月現在)桐野作人氏が指摘しておられる、「
栗野城は、中途半端ながらも島津氏の城としては珍しい織豊系城郭の特徴があるが、しかし曲輪が高い」という特徴は、上記のような、戦国時代の国内権力集中化度合いの見地からは、島津家では家臣団化がまだ中途半端であった状況を示唆するものです。
  南日本新聞ホームページ「373news.com」 ・ さつま人国誌 ・ 島津義弘と栗野城によれば(リンク先URLは2013年4月現在)島津義弘公による
栗野城の築城時期に関する諸説中、天正16年(1588年)説では、島津義弘公の命を受けた新納(にいろ)忠元が、島津義弘公家臣団である飯野衆と相談の上で天正16年(1588年)11月に築城に着手したとの由ですが、島津氏には織豊系城郭の建築技術が無かったため、島津義弘公が,  大阪から帰った翌・天正17年(1589年)9月月頃から建築が本格化したのではないかと、桐野作人氏は推測しておられます上述の天正18年(1590年)は、島津義弘公が栗野城に入城した年です。南日本新聞ホームページ「373news.com」 ・ さつま人国誌 ・ 島津義弘と栗野城によれば(リンク先URLは2013年4月現在)島津義弘公は、川上忠兄,  有川貞真,  上井秀秋,  新納旅庵を家老に、宮原伊賀守入道秀斎,五代友慶(五代友喜)を御使衆にして、統治機構を整えたとの由です。
  南日本新聞ホームページ「373news.com」 ・ さつま人国誌 ・ 島津義弘と栗野城によれば(リンク先URLは2013年4月現在)島津義弘公が
栗野城から朝鮮戦役に出陣する際、兵や武器が揃わずに遅参した挙げ句に、わずか23騎が同行しただけだったとの由です。桐野作人氏は、独立した曲輪がある栗野城の設計から窺える分散性が、この出陣時の家臣団の少なさにも反映しているとしておられます。
  現在の
栗野城跡には、島津義弘公が築いたと伝えられる石垣等が残っており、二の丸跡が史跡公園として整備されています。なお、島津義弘公は、栗野城の次に、文禄4年(1595年)に帖佐(ちょうさ;今日の姶良市姶良町地域の帖佐地区)帖佐館に移りました。
  交通・アクセスとしては、JR九州 ・ 肥薩線 ・ 栗野駅地図)から車になります。2013年4月現在栗野駅地図)は観光特急「はやとの風」の停車駅です。肥薩線には、九州新幹線 ・ 鹿児島中央駅地図)からは、観光特急「はやとの風」のように鹿児島中央駅地図)からは、JR九州 ・ 日豊本線経由で肥薩線に直接乗り入れる列車に乗るか、或いは、日豊本線隼人駅地図)まで行き、そこで肥薩線の列車に乗り換えれば、行けます。
  宿泊や立ち寄り湯のための最寄りの温泉地としては、鹿児島県 ・ 姶良郡(あいらぐん) 湧水町栗野町地域
栗野岳温泉,  湧水町吉松町地域吉松温泉郷等が、湧水町にある温泉地です。隣接する市町村では、宮崎県 ・ えびの市京町温泉,  吉田温泉,  鹿児島県 ・ 霧島市霧島温泉,  妙見温泉,  日当山(ひなたやま)温泉,  国分温泉,  霧島市旧隼人町地域の温泉等が、あります。)

(当HP内の)湧水町旧栗野町地域の温泉案内
(リンク先は(当HP内の)霧島温泉案内のページ(画面)の該当箇所。栗野岳温泉南洲館以外の旧栗野町の温泉施設については、このリンク先でご参照いただけます。)


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(当HP内の)観光特急「はやとの風」乗車記(兼)交通・観光案内(肥薩線の旅)(再掲)

(当HP内の)観光列車「いさぶろう・しんぺい」号乗車記(兼)交通・観光案内(肥薩線の旅)

(当HP内の)吉松駅前温泉入湯記
吉松温泉郷の温泉施設の1つです。)

(当HP内の)吉松温泉郷案内
(リンク先は(当HP内の)霧島温泉案内のページ(画面)の該当箇所。吉松駅前温泉以外の旧吉松町の温泉施設については、このリンク先でご参照いただけます。)

観光SL会館
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県のサブ・コンテンツ。MAPPLE観光ガイドでも観光SL会館として、ぐるなびでも観光SL会館として紹介されています。)

ウインドラブ
楽天トラベル ・ たびノート ・ 鹿児島県でもS・E・Tウインドラブ吉松パラグライダースクールとして紹介されています。)

筒羽野の疏水の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。鹿児島県姶良郡湧水町川添1,029-1。水土里ネット鹿児島(鹿児島県土地改良事業団体連合会) ・ わたしたちのふるさと ・ 鹿児島の疎水でも筒羽野の疏水として(リンク先URLは2011年4月現在)全国水土里ネット −新・田舎人フォーラム− ・ 疏水名鑑 ・ 疎水百選 ・ 疎水百選一覧でも筒羽野の疏水として(リンク先URLは2011年4月現在)霧島山麓湧水町観光協会でも疎水百選 筒羽野の疏水として(リンク先URLは2011年4月現在)、紹介されています。筒羽野の疏水は、疏水百選に選ばれた用水路で、竹中池を水源として流れています。丸池湧水名水百選),幸田の棚田日本の棚田百選),筒羽野の疏水疏水百選)は、湧水町の3百選と呼ばれています。)

竹中池公園の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。〒899-6103 鹿児島県姶良郡湧水町川添 。Tel.:0995-75-2318。竹中池を水源として、筒羽野の疏水が流れています。Drei(ブログ)でも姶良郡湧水町・竹中池公園として、KTS鹿児島テレビ ・ WHAT's new KAGOSHIMA ・ NikiNikiグルメでも竹中池公園そうめん流し〜湧水町として、全国旅そうだんでも竹中地区生産加工組合として、じゃらんnetでも竹中地区生産加工組合として、霧島山麓湧水町観光協会でも竹中池公園として(リンク先URLは2011年4月現在)、紹介されています。)

沢原高原(サワラコウゲン)の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。鹿児島県姶良郡湧水町。Tel.:0995-74-3111(湧水町役場商工観光課)。全国旅そうだんでも沢原高原として、じゃらんnetでも沢原高原として、霧島山麓湧水町観光協会でも沢原高原として(リンク先URLは2011年4月現在)、紹介されています。)

ヒガン桜自生南限地の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。鹿児島県姶良郡湧水町川添。Tel.:0995-75-2142(湧水町教育委員会)。全国旅そうだんでもヒガン桜自生南限地として、じゃらんnetでもヒガン桜自生南限地として、霧島山麓湧水町観光協会でもヒガンザクラ(自生南限地)として(リンク先URLは2011年4月現在)、紹介されています。)

池平公園の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。鹿児島県姶良郡湧水町中津川。Tel.:0995-74-3111(湧水町役場商工観光課)。全国旅そうだんでも池平公園として、じゃらんnetでも池平公園として紹介されています。)

湧水町吉松物産館ふれあい市場の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。〒899-6102 鹿児島県姶良郡湧水町中津川1032-1 。Tel.:0995-75-3987。全国旅そうだんでも吉松物産館ふれあい市場として、じゃらんnetでも吉松物産館ふれあい市場として紹介されています。)

般若寺日向山九品院般若寺公式WEBサイト(はんにゃじ;宗教法人 白嶽教真言宗))
(リンク先は、真言宗しらたけネットワーク(宗教法人 白嶽教)サイト上に設けられた公式WEBサイトです(リンク先URLは2015年5月現在)アット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図いつもNAVIの地図で場所を示せば、日向山九品院般若寺(白嶽教)の場所のとおり。住所:〒899-6105 鹿児島県姶良郡湧水町般若寺664−1,Tel.:0995-75-3033。よんご会HPでも湧水町 般若寺の歴史として(リンク先URLは2015年5月現在)国立国会図書館ホームページ ・ 近代デジタルライブラリー ・ キーワード「三国名勝図会」の検索結果でも三国名勝図会:60巻.14(巻之40-42)コマ番号60−64の中で紹介されています。
  
日向山九品院般若寺は、中世の大隅国 桑原郡 筒羽野(つつはの)江戸時代には筒羽野吉松に改称して大隅国 桑原郡 吉松郷(外城制における郷),現・鹿児島県 ・ 姶良郡 湧水町吉松町地域)にあった真言宗の古刹の寺院です。日向山九品院般若寺は、慶応4年/明治元年(1868年)からの廃仏毀釈で一旦は廃寺になりましたが、日向山九品院般若寺公式WEBサイト ・ 復興の足跡(1988〜2015)によれば、復興したとの由です。昭和63年(1988年)という年が、復興年であるのか、復興への歩みを始めた年であるのか、そのいずれであるかは確認できませんでしたが、日向山九品院般若寺公式WEBサイト ・ 復興の足跡(1988〜2015)によれば、復興後の日向山九品院般若寺神仏習合の原点に立ち帰り、仏門・神道・宗派を問わず門戸を大きく開いているとの由です。真言宗しらたけネットワーク(宗教法人 白嶽教)公式WEBサイトによれば、復興後の日向山九品院般若寺宗教法人 白嶽教真言宗)の霧島分寺の位置づけにあるとの由ですので、併せて鑑(かんが)みれば、「神仏習合を是とする真言宗の寺院だ」ということになります。
  国立国会図書館ホームページ ・ 近代デジタルライブラリー ・ キーワード「三国名勝図会」の検索結果 ・ 三国名勝図会:60巻.14(巻之40-42)コマ番号60−64によれば、
日向山九品院般若寺は、性空上人開基で当初は天台宗の寺院であったとの由ですが、後に真言宗に転じて、江戸時代には、薩摩国 鹿児島郡 鹿児島(現・鹿児島県 ・ 鹿児島市鹿児島市地域)の大乗院の末寺であったとの由です。なお、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 大乗院(鹿児島市)によれば、江戸時代大乗院清水城跡(しみずじょうあと)にあったとの由ですが、やはり 廃仏毀釈で一旦廃寺になった後、鹿児島県 ・ 鹿児島市内で移転再建されて、今日の高野山最大乗院になっています。
  国立国会図書館ホームページ ・ 近代デジタルライブラリー ・ キーワード「三国名勝図会」の検索結果 ・ 三国名勝図会:60巻.14(巻之40-42)コマ番号60−64によれば、
日向山九品院般若寺は、かつて足利尊氏が訪れたことがある寺であるとの由です。また、日向山九品院般若寺公式WEBサイト ・ お茶の歴史によれば、日向山九品院般若寺は、鹿児島茶発祥の地」でもあるとの由です。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 島津忠良,ならびに島津勝久,  よんご会HP ・ よしまつのおいたち,  九州戦国史〜室町末期から江戸初期まで〜,  九州限定戦国年表(天文年間一部抜粋 ),ならびに台明寺岩人島津忠良の陰謀 守護職強奪と本田薫親の追放地方・小出版流通センター南方新社),2008)p.91等によれば、戦国時代の天文4年(1535年)に、島津氏宗家第14代当主・島津勝久公は、失脚して権力を失って豊後国(現・大分県の一部)に落ちていく途中で、大隅国 桑原郡 筒羽野(つつはの)(現・鹿児島県 ・ 姶良郡 湧水町吉松町地域)の
日向山九品院般若寺に滞在したことがあったとの由です。上記参照先によれば、これは、当時、大隅国 桑原郡 筒羽野も領土の中の一つにしていた、日向国 真幸院(まさきいん)(現・宮崎県 ・ えびの市,  小林市小林市地域)の飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1970年までの旧飯野町地域)の飯野城と、日向国 真幸院三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の三ツ山城(北原氏版)この辺り(地図)を拠点としていた日向国 真幸院国人領主・北原氏を頼ってのことであったとの由です。
  
日向山九品院般若寺は、一時期は薩摩藩領内の寺院が1寺も残さずに全滅した、過度の廃仏毀釈が行われた鹿児島県においては、復興できた数少ない寺院の中の一つであり、この点で、とても貴重な寺院です。なお、日向山九品院般若寺以外の鹿児島県内の、廃仏毀釈後に復興した歴史の古い寺院については、当ホームページ内の感応寺(感応禅寺),五廟社訪問記画面(ページ)の「鹿児島県内の、廃仏毀釈後に復興した歴史の古い寺院」欄で、ご参照いただけます。
→   (当HP内の)感応寺(感応禅寺),五廟社訪問記内の「鹿児島県内の、廃仏毀釈後に復興した歴史の古い寺院」欄


(当HP内の)吉松温泉郷案内
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亀鶴城跡の場所(吉松城跡の場所)
(リンク先は、城郭放浪記 ・ 鹿児島県姶良郡のお城一覧掲載地図に基づくアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図いつもNAVIの地図。住所:鹿児島県姶良郡湧水町大字(おおあざ)鶴丸字(あざ)城。お城の旅日記でも大隅 亀鶴城として、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも北原氏,  吉松町の中で、九州戦国ブログ〜室町末期から江戸初期まで〜でもレジェンドオブ大河平(おこびら)_基礎資料(人物編)の中で、よんご会HP 歴史・史跡欄 年表(吉松と栗野のおいたち)でも亀鶴城として紹介されています。
  
亀鶴城跡(吉松城跡)は、大隅国 桑原郡 筒羽野島津義弘公が吉松と改名)(現・鹿児島県 ・ 姶良郡 湧水町吉松町地域)にあった中世城郭の遺構です。亀鶴城(吉松城)は、詳しくは後述するとおり、島津義弘公が居城したことがある旨の伝承がある城ですので、挙げておきます。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原兼親によれば、戦国時代の永禄5年(1562年)の島津氏・相良氏・北郷氏(ほんごうし)による北原氏への支援の結果、旧領の日向国 真幸院(まさきいん)(現・宮崎県 ・ えびの市,  小林市小林市地域)を日向 伊東氏から奪還した北原兼親は、北原氏第14代当主に就任し、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の
飯野城の城主になっていたとの由です。しかし、翌永禄6年(1563年)には肥後国 球磨郡 人吉(現・熊本県 ・ 人吉市)の人吉城城主で肥後国国人戦国大名 ・ 相良氏(さがらし)第18代当主・相良義陽が裏切り、日向国 那珂郡 佐土原(さどわら)(現・宮崎県 ・ 宮崎市佐土原町地域)の佐土原城さどわらじょう日向国 児湯郡(こゆぐん)都於郡(とのこおり)(現・宮崎県 ・ 西都市 大字鹿野田,大字都於郡町等)の都於郡城とのこおりじょうとを拠点にしていた日向国の反島津氏国人戦国大名 ・ 日向 伊東氏第10代当主・伊東義祐と手を組んで、日向国 真幸院飯野大明神城(小城(地図)のことの模様)を落城させたとの由です。また、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏,  九州戦国ブログ〜室町末期から江戸初期まで〜 ・ レジェンドオブ大河平(おこびら)_基礎資料(人物編),  よんご会HP 歴史・史跡欄 年表(吉松と栗野のおいたち) ・ 亀鶴城孫引きの鬼塚秋花『吉松古蹟考』写本,ならびに城郭放浪記 ・ 鹿児島県姶良郡のお城一覧掲載地図によれば、大隅国 桑原郡 筒羽野島津義弘公が吉松と改名)(現・鹿児島県 ・ 姶良郡 湧水町吉松町地域)の亀鶴城(吉松城)城主で北原兼親の叔父の北原左衛門尉が、日向 伊東氏相良氏(さがらし)と通じて、日向国 真幸院飯野から島津氏を追い出そうと画策していたことが発覚して、永禄7年(1564年)に出奔したとの由です。さらに、九州戦国ブログ〜室町末期から江戸初期まで〜 ・ 大河平氏_11【今城合戦---4・総攻撃】掲載地図,城郭放浪記 ・ 宮崎県えびの市のお城一覧掲載地図,フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏,  北原兼親,  大河平氏,  大河平隆次,  今城(えびの市),ならびに播磨屋.com ・ 家紋World ・ 風雲戦国史 ・ 地方別武将一覧 ・ 九州 ・ 北原氏によれば、日向国 真幸院飯野飯野城城主で北原氏第14代当主の北原兼親は、家臣で日向国 真幸院の大河平(おこびら;現・宮崎県 ・ えびの市大字(おおあざ)「大河平」)の今城地図城主で、菊池氏庶流の大河平氏(おこびらし)第3代当主・大河平隆次(おこびら たかつぐ)と不仲になったとの由です。このため、北原兼親は、「飯野城今城地図とは近いため、すぐに今城地図に援軍に駆け付けられる」として今城地図の援軍の撤収を島津義弘公に進言し、島津義弘公が兵を撤退させたところ、手薄になった今城地図日向 伊東氏に攻められて、今城地図の城兵が全滅してしまったとの由です。このような情勢下で後難を恐れた、大隅国 桑原郡 踊(おどり;後の牧園)(現・鹿児島県 ・ 霧島市牧園町地域)の踊城(所在地不明(注)城主・白坂佐渡介、日向国 諸県郡(もろかたぐん) 高原(たかはる;現・宮崎県 ・ 西諸県郡 高原町(たかはるちょう))の高原城城主・白坂下総介等の家臣が、北原家から相次いで出奔する状況に陥ったとの由です。
(注) 踊城跡の場所については調べてみましたが、例えば奥天降(おくあもり) エコツアー ・ ブログ ・ 平成23年2月6日開催・第36回「踊城跡・西南の戦役七又山堡塁群跡」のように踊城跡を訪れた方がおられますので、城跡があることは確かなのですが地図が載っている情報源を見つけられず、どこにあるか分かりませんでした。鴨着く島 おおすみ 〜南九州の歴史の謎を探る〜 ・ 『三国名勝図会』から学ぶ おおすみ歴史講座 ・ 平成25年度 第1回 大隅国 桑原郡 日当山・踊 各郷(H25.4.21),ならびに江戸の名残/江戸の名残香を訪ねて ・ 鹿児島の麓:薩摩藩の外城 ・ 牧園麓等によれば、江戸時代薩摩藩外城(とじょう)制における大隅国 桑原郡 郷(現・鹿児島県 ・ 霧島市牧園町地域)の 牧園 踊城跡)であったとの由であり、かつ、 牧園 地頭仮屋跡は後の霧島市立牧園小学校地図の場所にあったとの由ですので、この辺りにあったのであろうと推測します。

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏,  北原兼親,ならびに飯野城等によれば、このような状況に陥ったため、北原氏第14代当主の北原兼親は、日向国 真幸院(まさきいん)(現・宮崎県 ・ えびの市,  小林市小林市地域)の本領を維持することが難しくなってしまったとの由です。薩摩国 鹿児島郡 鹿児島(現・鹿児島県 ・ 鹿児島市鹿児島市地域)の
内城うちじょう城主で島津氏宗家第15代当主・島津貴久公は、この事態を憂えて永禄7年(1564年)に、薩摩国 日置郡 伊集院の神殿(こどん)村(現・鹿児島県 ・ 日置市伊集院町地域大字(おおあざ)伊集院町上神殿この辺り(地図))」ならびに「伊集院町下神殿この辺り(地図))」)の中にに30町歩の領地を与えて、北原兼親を移住させたとの由です。この結果、北原氏日向国 真幸院戦国武将の座を失うに至ったとの由です。このような経緯の結果、日向国 真幸院は、北原氏去り後、永禄7年(1564年)に島津氏本宗家の直接的な勢力圏になり、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城の新たな城主には、島津義弘公が就任したとの由です。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 岩剣城等によれば、島津義弘公は、大隅国 桑原郡(後に、江戸時代には始羅郡(しらぐん))帖佐(ちょうさ;現・鹿児島県 ・ 姶良市姶良町地域の一部)の
岩剣城で天文23年(1554年)に行われた岩剣城の戦いの後で、岩剣城の麓の平松館城主になりました。その後、島津修久島津義弘の軍功記 増補改訂版』(島津顕彰会発行,今村印刷所印刷,2000,鹿児島市尚古集成館で販売)p.121-122の年表等によれば、島津義弘公は、永禄3年(1960年)3月に、日向国 飫肥院(日向国 宮崎郡 飫肥)(おび;現・宮崎県 ・ 日南市 飫肥地区)の飫肥城おびじょう城主で島津氏庶流の豊州家第5代当主・島津忠親の養子になり、飫肥城おびじょうで、北方からの日向 伊東氏の攻勢に備えていたとの由です。ところが、永禄4年(1561年)に大隅国 囎唹郡(そおぐん)廻(めぐり;現・鹿児島県 ・ 霧島市福山町地域)の廻城めぐりじょう周辺で行われた廻城の戦いで、島津義弘公の叔父で、大隅国 囎唹郡(そおぐん) 国分(現・鹿児島県 ・ 霧島市国分市地域)の国分清水城こくぶきよみずじょう城主の島津忠将が戦死すると、大隅国 肝属郡(きもつきぐん) 高山(こうやま;現・鹿児島県 ・ 肝付町(きもつきちょう)高山町地域)の高山城城主で、肝付氏第16代当主・肝付兼続(きもつき かねつぐ)に対する島津氏の防衛環境が悪化したため、永禄5年(1562年)3月に島津義弘公は豊州家との間の養子縁組を解消して、島津氏本宗家に戻っていたとの由です。その後の永禄7年(1564年)に島津義弘公が城主になったのが、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城だということになります。
  よんご会HP 歴史・史跡欄 年表(吉松と栗野のおいたち) ・ 亀鶴城孫引きの鬼塚秋花『吉松古蹟考』写本,ならびに鹿児島県神社庁ホームページ ・ 菅原神社によれば、島津義弘公は、
飯野城に移る際に、飯野城の普請(工事)が完了するまでの間、大隅国 桑原郡 筒羽野島津義弘公が吉松と改名)(現・鹿児島県 ・ 姶良郡 湧水町吉松町地域)の亀鶴城(吉松城)に居城していたとの由です。また、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 吉松町によれば、後年、島津氏が三州(薩摩国,  大隅国,  日向国)(概ね現・鹿児島県 + 宮崎県)の領国国内統一を成し遂げて、菱刈氏を追って北薩を攻略した後に、島津義弘公が豊後国に移った際に、亀鶴城(吉松城)を仮住居にしていたとの由です。島津義弘公が豊後国に移ったというのは、即ち、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 豊薩合戦等によれば、島津氏による九州統一が戦国時代末期/安土桃山時代の天正14年(1586年)7月〜同15年(1587年)4月の豊臣秀吉九州征伐(九州平定)で阻まれる直前の島津氏による九州統一の最末期、天正14年(1586年)〜天正15年(1587年)の豊薩合戦で、今日の大分県の諸城の内、旧豊後国の諸城を攻めたことを指すものと推測します。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 阿蘇合戦,ならびに島津修久島津義弘の軍功記 増補改訂版』(島津顕彰会発行,今村印刷所印刷,2000,鹿児島市尚古集成館で販売)p.123の年表等によれば、豊薩合戦に先立つ天正12年(1584年)〜天正13年(1585年)の阿蘇合戦末期の天正13年(1585年)に、おいて島津義弘公は、肥後国 守護代に任命されて肥後国 八代郡 八代(やつしろ;現・熊本県 ・ 八代市)の古麓城ふるふもとじょう)(初代八代城を拠点として阿蘇合戦で今日の熊本県の諸城を攻めています。このため、島津義弘公は、豊薩合戦では、肥後国(現・熊本県)から豊後国(現・大分県の一部)に攻め入りました。したがって、上述のとおり島津義弘公が豊薩合戦に行く際に亀鶴城(吉松城)を仮住居にしていたという話が本当であれば、それは、阿蘇合戦豊薩合戦との間に一時帰国したりしていない限り、一旦肥後国(現・熊本県)の古麓城ふるふもとじょうを経由する前のことだということになります。
  よんご会HP 歴史・史跡欄 年表(吉松と栗野のおいたち)によれば、
亀鶴城(吉松城)には南側の本丸の鶴城と、北側の二の丸の亀城とに曲輪(くるわ)が分かれており、本丸の鶴城の鎮守は鶴岡正八幡社で、二の丸の亀城の鎮守は亀岡天神社であったとの由です。よんご会HP 歴史・史跡欄 年表(吉松と栗野のおいたち),ならびに鹿児島県神社庁ホームページ ・ 八幡神社によれば、本丸の鶴城の鶴岡正八幡社は、元和2年(1616年)に遷座し、この遷座後の神社が、〒899-6101 姶良郡湧水町鶴丸604にある、今日の鶴丸八幡神社地図であるとの由です。また、よんご会HP 歴史・史跡欄 年表(吉松と栗野のおいたち),ならびに鹿児島県神社庁ホームページ ・ 菅原神社によれば、二の丸の亀城の亀岡天神社も、遷座年は調べても分かりませんでしたが同様に遷座し、〒899-6101 姶良郡湧水町鶴丸710-11にある、今日の菅原神社地図であるとの由です。鶴岡正八幡社(現・鶴丸八幡神社地図)の遷座の経緯は不明ですが、遷座年・元和2年(1616年)の前年の慶長20年/元和元年(1615年)に江戸幕府一国一城令を出していますので、恐らくは、一国一城令によって亀鶴城(吉松城)が廃城になり、それに伴って遷座したのではないか、という仮説モデルを推測することが可能です(注:この仮説モデルは推測であり、確認した上での事実ではありません)。であれば、亀岡天神社(現・菅原神社地図)の遷座時期も、同様であったのではないかという仮説モデルを立てることができます(注:この仮説モデルは推測であり、確認した上での事実ではありません)
  江戸時代薩摩藩では、慶長20年/元和元年(1615年)の一国一城令に対する実質的な抜け穴の支城ネットワーク網となる地方行政・軍事ネットワーク網の制度「外城制」の下、「郷(ごう)」と呼ばれる地方行政区画ごとに武家集住地域「外城(後に「麓」と改称)」を設け、武家屋敷群を拠点にした地方統治を行っていました。武家屋敷群は、文字どおり中世の山城があった山の麓に設けられた場合が多いです。江戸の名残/江戸の名残香を訪ねて ・ 吉松麓によれば、
吉松 亀鶴城跡(吉松城跡)の麓に設けられたとの由です。各「外城(麓)」で「郷」を統治する武士の見地から「郷」を分類すれば、一所持と呼ばれる家格の重臣が私領主として統治する「郷」と、薩摩藩の藩庁の役人が藩官僚「地頭」として統治する「郷」とが、ありました。城鑑賞の旅・二人で城ある記 城(お城・城郭)・宮殿・城下町・歴史遺構など、熟年夫婦の城巡りの報告 ・ 島津 外城(麓)の地図によれば、吉松 は後者の方であったとの由です。また、御仮屋とは、武家屋敷群の統治者の役所(兼)館となる施設です。江戸の名残/江戸の名残香を訪ねて ・ 吉松麓によれば、吉松 の地頭仮屋があった場所は不明であるとの由です。辰巳屋の街並みめぐり ・ 薩摩藩外城の街並み一覧表 ・ 吉松からリンクを張られている地図によれば、吉松 の街並みは、湧水町立吉松小学校地図の周辺にあるとの由です。また、湧水町立吉松小学校地図がある鹿児島県 姶良郡 湧水町 大字(おおあざ)中津川には、字(あざ)「麓(この辺り(地図))」という地名があります。
  2014年12月現在、公共交通機関での
亀鶴城(吉松城)への行き方は、JR九州 ・ 吉都線えびの高原線)の鶴丸駅地図)から徒歩です。JR九州 ・ 吉都線えびの高原線)の鶴丸駅地図)への鹿児島県 ・ 鹿児島市九州新幹線停車駅・鹿児島中央駅地図からの行き方は、鹿児島中央駅地図からJR九州 ・ 日豊本線鹿児島県 ・ 霧島市隼人町地域隼人駅地図)に行き、隼人駅地図)でJR九州 ・ 肥薩線に乗り換えて鹿児島県 ・ 湧水町吉松町地域吉松駅地図)に行き、吉松駅地図)でJR九州 ・ 吉都線えびの高原線)の列車に乗り換えれば、鶴丸駅地図)に行けます。鹿児島中央駅地図吉松駅地図)間は、2014年12月現在運行されている列車の列車名で申せば観光特急「はやとの風」に載れば、隼人駅地図)で乗り換えなくても直行で行けます。また、鶴丸駅地図)−隼人駅地図)間には、JR九州肥薩線 ・ 吉都線直通乗り入れ列車(普通列車)がありますので、鹿児島中央駅地図からJR九州 ・ 日豊本線 ・ 隼人駅地図)まで、2014年12月現在運行されている列車の列車名で申せば、例えば特急きりしま等の日豊本線の列車でお越しいただければ、隼人駅地図)から先は乗換無しで行くこともできます。JR九州の列車に乗って九州旅行をされる場合には、2014年12月現在【楽天トラベル×JR九州】<往復JR+宿泊>セットでおトクな予約をご利用されると、予約が便利です。
  
亀鶴城(吉松城)の最寄り駅・鶴丸駅地図)があるJR九州 ・ 吉都線と、JR九州 ・ 肥薩線との乗換駅・吉松駅地図)へは、熊本県 ・ 八代市(やつしろし)九州新幹線停車駅・新八代駅地図)からは、2014年12月現在運行されている列車の列車名で申せば特急「くまがわ」,  九州横断特急等のJR九州 ・ 肥薩線(川線)の列車で熊本県 ・ 人吉市人吉駅地図)に行き、人吉駅地図)で、2014年12月現在運行されている列車の列車名で申せば観光列車「いさぶろう・しんぺい」号等のJR九州 ・ 肥薩線(山線)の列車に乗り換えれば、行くことができます。宮崎県からは、宮崎県 ・ 宮崎市JR九州 ・ 日豊本線宮崎駅地図),ならびに南宮崎駅地図)から、2014年12月現在運行されている列車の列車名で申せば、例えば特急きりしま等の日豊本線の列車で宮崎県 ・ 都城市(みやこのじょうし)都城市地域都城駅地図)に行き、都城駅地図)でJR九州 ・ 吉都線えびの高原線)の列車に乗り換えれば、鶴丸駅地図)まで行くことができます。JR九州の列車に乗って九州旅行をされる場合には、2014年12月現在【楽天トラベル×JR九州】<往復JR+宿泊>セットでおトクな予約をご利用されると、予約が便利です。
  飛行機(航空機)でお越しの方は、鹿児島県 ・ 霧島市溝辺町地域
鹿児島空港公式HP,  地図から、いわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワーク妙見路線バス(旧・温泉バス,妙見温泉バス)で「嘉例川駅(かれいがわえき)地図)前」バス停、或いはいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワーク霧島いわさきホテル行き(霧島温泉方面行き)路線バスにで「嘉例川」バス停(地図)に行き、これらのバス停で下車した上で、JR九州 ・ 肥薩線 ・ 嘉例川駅地図)でJR九州 ・ 肥薩線吉松駅地図)方面行きの列車に乗って鹿児島県 ・ 湧水町吉松町地域吉松駅地図)に行き、吉松駅地図)でJR九州 ・ 吉都線えびの高原線)の列車に乗り換えれば、鶴丸駅地図)に行けます。2014年12月現在JR九州肥薩線には吉都線直通乗り入れ列車(普通列車)がありますので、直通列車だった場合には、吉松駅地図)での乗換は不要です。JR九州の列車に乗って九州旅行をされる場合には、2014年12月現在【楽天トラベル×JR九州】<往復JR+宿泊>セットでおトクな予約をご利用されると、予約が便利です。
  宿泊や立ち寄り湯のための最寄りの温泉地としては、鹿児島県 ・ 姶良郡(あいらぐん) 湧水町吉松町地域
吉松温泉郷,  湧水町栗野町地域栗野岳温泉等が、湧水町にある温泉地です。隣接する市町村では、宮崎県 ・ えびの市京町温泉,  吉田温泉,  鹿児島県 ・ 霧島市霧島温泉,  妙見温泉,  日当山(ひなたやま)温泉,  国分温泉,  霧島市旧隼人町地域の温泉等が、あります。)

(当HP内の)吉松温泉郷案内
(リンク先は(当HP内の)霧島温泉案内のページ(画面)の該当箇所。)

湧水町・その他>

(当HP内の)湧水町旧栗野町地域の温泉案内
(リンク先は(当HP内の)霧島温泉案内のページ(画面)の該当箇所。)

(当HP内の)吉松温泉郷案内
(リンク先は(当HP内の)霧島温泉案内のページ(画面)の該当箇所。)

霧島山麓 丸池湧水販売ショップ
リンク先URLは2011年11月現在丸池湧水の清水を用いたミネラルウォーターのペット・ボトルの販売サイトです。湧水町商工会ホームページ ・ 「日本名水百選の丸池から生まれたミネラルウォーター」のページ(画面),  霧島山麓湧水町観光協会のブログ - Yahoo!ブログ「湧水町の特産品:丸池湧水(ミネラルウォーター)」によれば(リンク先URLは2011年11月現在)、平成21年(2009年)10月28日から、ミネラルウォーター「丸池湧水」の販売を開始したとの由です。自動販売機設置場所は、例えば湧水町商工会前(地図(この辺り))等との由で、それ以外のリアル・ワールドでの販売場所については、2011年11月現在湧水町商工会ホームページ ・ 「日本名水百選の丸池から生まれたミネラルウォーター」のページ(画面)でご参照いただけます。)

【楽天市場】キーワード「湧水町+鹿児島」の検索結果
湧水町の物産については、【楽天市場】でもお買い求めいただくことが可能です。)

【楽天市場】山形屋オンラインショップ,  【楽天市場】インターネット通販 しまづ屋((株)島津興業)
鹿児島の物産については、【楽天市場】山形屋オンラインショップでもキーワード「鹿児島」の検索結果でお買い求めいただくことが可能であります他、鹿児島の物産については【楽天市場】インターネット通販 しまづ屋((株)島津興業)でもお買い求めいただくことが可能です。)


ご宿泊先や観光スポットや物産は、以下のリンク先でお探しいただけます。
温泉天国・鹿児島温泉紹介!
(当WEBサイト)
(当HP内の)霧島温泉案内
(当HP内の)湧水町旧栗野町地域の温泉案内
(当HP内の)吉松温泉郷案内
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鹿児島県
霧島市 霧島町地域 牧園町地域
隼人町地域 霧島市他地域
(当HP内の別画面(別ページ))
湧水町 栗野町地域 吉松町地域
宮崎県
えびの市 えびの市
小林市 小林市地域 須木村地域
(すきそん)
野尻町地域
高原町 高原町
都城市 都城市地域 山田町地域
高崎町地域 高城町地域
山之口町地域
三股町 三股町
隣接エリアを紹介する、当ホームページ内の別ページ
隼人・国分・姶良地域観光案内 > 霧島市
鹿児島県 ・ 霧島市の、当画面(当ページ)で紹介していない地域は、このリンク先でご参照いただけます。)






<霧島観光案内:宮崎県

宮崎県観光情報サイト「旬ナビ」(みやざき観光コンベンション協会)



<霧島観光案内:宮崎県えびの市

えびの市ホームページ ・ 観光・イベント

えびの市観光協会

えびの市
(リンク先はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のサブ・コンテンツ。江戸時代には、現宮崎県県内の旧薩摩藩領だった地域です。)

(当HP内の)九州新幹線乗車記
→   新八代駅高速バス宮崎〜新八代線「B&Sみやざき」に乗り換えれば、えびの市に行けます。時刻表は、以下のリンク先でご参照いただけます。
宮崎交通公式WEBサイト
(→ 宮崎交通公式WEBサイト上のキーワード「B&Sみやざき」のgoogleでの検索結果
JR九州バス公式WEBサイト
(→ JR九州バス公式WEBサイト上のキーワード「B&Sみやざき」のgoogleでの検索結果

(当HP内の)観光列車「いさぶろう・しんぺい」号乗車記(兼)交通・観光案内(肥薩線の旅)

<霧島連山周遊バス&霧島・えびの高原定期観光バス>
霧島地域の観光スポットを巡るいわさきコーポレーション解説) ・ いわさきバスネットワークのバス路線の内、「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券対象外かも知れない路線には「霧島連山周遊バス」があり、時刻表については、2013年12月現在九州のバス時刻表ホームページ,ならびに霧島市ホームページ ・ 霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)でご参照いただけます。また、霧島地域の観光スポットを巡る際には、いわさきコーポレーション(株)霧島・えびの高原定期観光バスもご利用いただけます。
◎   霧島連山周遊バス   ○   丸尾地図丸尾温泉(温泉地名)等の霧島温泉郷最寄り)−えびの高原地図>霧島連山韓国岳えびの高原登山口,  えびの高原最寄り)−高千穂河原地図>霧島連山中岳高千穂河原登山口,  高千穂峰登山口,  霧島神宮古宮址,  高千穂河原ビジターセンター最寄り)−丸尾地図
◎   霧島・えびの高原定期観光バス   ○   2013年12月現在いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト ・ バスのご案内 ・ 定期観光バス  ・ 霧島・えびの高原定期観光バス 時刻表(&案内:PDF版)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、いわさきコーポレーション(株)公式WEBサイト上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   鹿児島県観光サイト「本物。の旅かごしま」((社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課) ・ バスご利用の方ご参照。もしも将来リンク切れになったら、(社)鹿児島県観光連盟&鹿児島県観光交流局観光課ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。
  ○   霧島市ホームページ ・ 「観光案内:市内の交通案内 ・ 霧島遊めぐりバスマップダウンロード・ページ」,または霧島遊めぐりバスマップ(各路線バス時刻表)ご参照。もしも将来リンク切れになったら、霧島市ホームページ上のキーワード「霧島・えびの高原定期観光バス」のgoogle検索結果でお探し下さい。


えびの高原
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノートのサブ・コンテンツ。楽天トラベル ・ たびノートではこの他、えびのエコミュージアムセンター,  池めぐり自然研究路,  不動池,  足湯の駅えびの高原,  えびの高原のノカイドウ,  えびの高原温泉,  えびの高原キャンプ村として紹介されています。また、楽天トラベルでも【楽天トラベル】えびの高原荘(えびの高原温泉ホテル)として紹介されています。)

(当HP内の)えびの高原登山口案内(再掲;宮崎県えびの市)
(リンク先は当HP内の霧島連山登山体験記内の解説欄。霧島縦走韓国岳単体の登山の登山口になります。楽天トラベル ・ たびノートでもえびの高原として紹介されています。)

えびのエコミュージアムセンター(再掲)
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノートのサブ・コンテンツ。プチたびでもえびのエコミュージアムセンターとして紹介されています。)

池めぐり自然研究路(再掲)不動池(再掲),六観音御池等)
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノートのサブ・コンテンツ。)

【楽天トラベル】えびの高原荘(えびの高原温泉ホテル)
(リンク先は楽天トラベルのサブ・コンテンツ。温泉地としてはえびの高原温泉になります。)

足湯の駅 えびの高原(旧レストセンター)
(リンク先は宮交ショップアンドレストラン株式会社のサブ・コンテンツで公式WEBサイト(リンク先URLは2010年8月現在)楽天トラベル ・ たびノートでも足湯の駅えびの高原(再掲)として紹介されています。温泉地としてはえびの高原温泉になります。)

えびの高原キャンプ村
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノートのサブ・コンテンツ。アット・ニフティ@nifty ・ @nifty温泉@nifty温泉でもえびの高原キャンプ村(温泉)として紹介されています。温泉があるとの由で、温泉地としてはえびの高原温泉になります。)

白鳥温泉(上湯,下湯)
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノートのサブ・コンテンツ。アット・ニフティ@nifty ・ @nifty温泉@nifty温泉でも白鳥温泉上湯,  白鳥温泉下湯として、MAPPLE観光ガイドでも白鳥温泉上湯,  白鳥温泉下湯として紹介されています。)

白鳥神社の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。宮崎県えびの市大字末永1479.Tel.:0984-35-3838(えびの市観光協会)。標準的には霧島六社権現の神社ではありませんが、霧島六社権現に分類されることもある神社です。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも白鳥神社(えびの市)として、全国旅そうだんでも白鳥神社として、じゃらんnetでも白鳥神社として紹介されています。
  白鳥神社(しらとりじんじゃ)は、宮崎県えびの市の、霧島山系の山の一つ・白鳥山の中腹にある神社です。オーソドックスな分類では霧島六社権現の中の神社ではありませんが、霧島六社権現に分類されることもある、由緒正しき古社です。霧島六社権現とは、平安時代・村上天皇の御代に上述の性空上人によって整備された、鹿児島県の霧島神宮をはじめとする霧島山周辺の6つの神社の総称です。
  白鳥神社の主祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。性空上人が白鳥山頂近くの火山湖・六観音御池(ろっかんのんみいけ)で休んでいたところ、「白鳥と化してこの地に住む日本武尊」と名乗る白髪の老人が現れて「我を祀る神社を建てよ」と語り、白鳥と化して飛び去ったことから、性空上人が白鳥権現社を建てたのが始まりとされています。日本武尊が白鳥山に現れたのは、かつて霧島山系の鹿児島県側の地で熊襲(くまそ)征伐を日本武尊が行ったからとも言われているとの由です。
  祭神が軍神であるため、戦国時代には島津氏の信仰の対象となったとの由です。現在では受験の神様として知られています。
  江戸時代までの神仏習合(神仏混淆)の時期には別当寺(神宮寺)は白鳥山金剛乗院満足寺も栄えましたが、廃仏毀釈で廃寺になり、今日では神社だけが残っています。現在の本殿は、文化6年(1809年)に火災焼失の後で再建されたものです。元禄16年(1703年)には、境内にあったアカマツの巨木が東大寺大仏殿の屋根を支える虹梁として使用されたことでも知られています。
  毎年11月上旬にえびの白鳥観光祭が開催されるとの由です。
  交通・アクセスは、JR吉都線・えびの駅からタクシーになります。
  なお、他の霧島六社権現の神社については、(当HP内の)霧島神宮訪問記内の霧島六社権現紹介欄に一覧を載せています。
  宮崎県 ・ えびの市の歴史系観光スポットには、
木崎原古戦場跡があり、みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば木崎原古戦場跡の敷地内には、六地蔵塔,  三角田,  島津義弘の腰掛石,  島津義弘公歌碑等があるとの由です。この他、えびの市歴史民俗資料館,  首塚,  太刀洗川,  元巣塚げんそうづか,  三徳院,  飯野城跡亀城公園,  加久藤城跡かくとうじょうあと,  馬関田城跡まんがたじょうあと,  日向国 真幸院(まさきいん)の吉田(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の城である松尾城跡(この辺り(地図),  大明司諏訪神社地図,  白鳥権現社(現・白鳥神社)地図,  クルソン峡狗留孫峡の奥にある狗留孫神社くるそんじんじゃ狗留孫神社遺跡等があります。この他の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットは、宮崎県えびの市観光協会ホームページリンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「えびの市観光協会」のgoogle検索結果でお探し下さい),  えびの市役所ホームページ上のキーワード「観光」のgoogle検索結果,ならびに京町温泉郷ホームページ(京町温泉活性化プロジェクト会議)リンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「京町温泉」のgoogle検索結果でお探し下さい)等で、お探しいただけます。)

白鳥森林公園キャンプ場
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノートのサブ・コンテンツ。全国旅そうだんでも白鳥森林公園キャンプ場として紹介されています。)

観光バラ園きりしまローズボナーレ
楽天トラベル ・ たびノートでも観光バラ園きりしまローズボナーレとして紹介されています。)

グリーンパークえびの
(リンク先は南九州コカ・コーラボトリング株式会社のサブ・コンテンツで公式WEBサイト(リンク先URLは2010年8月現在)楽天トラベル ・ たびノートでもグリーンパークえびのとして紹介されています。)

クルソン峡狗留孫峡
(リンク先は楽天トラベル ・ たびノートのサブ・コンテンツ。アット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図いつもNAVIの地図で場所を示せば、クルソン峡の場所のとおり。住所:宮崎県えびの市大河平、Tel.:0984-35-3838(えびの市観光協会)。クルソン峡狗留孫峡の奥には、狗留孫神社狗留孫神社遺跡,狗留孫山多宝院端山寺(はやまじ)跡もあります。
  MAPPLE観光ガイドでもクルソン峡として、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも狗留孫峡として、公益社団法人日本観光振興協会「全国観るなび」でもクルソン峡として、じゃらんnetでもクルソン峡,  クルソン峡の紅葉として紹介されています。)


狗留孫神社の場所(くるそんじんじゃ。別名:羽山積神社(はやまつみじんじゃ),狗留孫神社遺跡,狗留孫山多宝院端山寺(はやまじ)跡)
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図いつもNAVIの地図。住所:宮崎県えびの市大河平、Tel.:0984-35-3838(えびの市観光協会)。宮崎県ホームページでもみやざきの神話と伝承101 ・ 狗留孫山の石卒塔婆として(リンク先URLは2014年12月現在)えびの市ホームページでも市指定文化財の中で(リンク先URLは2014年12月現在)公益社団法人日本観光振興協会「全国観るなび」でも狗留孫神社遺跡として、じゃらんnetでも狗留孫神社遺跡として、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも狗留孫峡の中で、山登りと山遊び・・徒然日記でも狗留孫神社遺跡PART I,  狗留孫神社遺跡PART II 「天空の社」として、山の案内でも狗留孫(くるそん)神社登山として(地図有り)、ネット通販などでの情報に微力ながらでも狗留孫(くるそん)峡谷の中で(地図有り)、宮巡 〜神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト〜でも羽山積神社(はやまつみじんじゃ) 狗留孫神社として紹介されています。
  
狗留孫神社狗留孫神社遺跡,狗留孫山多宝院端山寺(はやまじ)跡は、クルソン峡狗留孫峡の奥にあります。山登りと山遊び・・徒然日記 ・ 狗留孫神社遺跡PART II 「天空の社」掲載の案内板写真,ならびにフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 狗留孫峡によれば、建久2年(1191年)10月に、臨済宗開祖・栄西熊野三所権現熊野本宮大社,  熊野速玉大社,  熊野那智大社)を勧請して建立した日本で2番目に古い禅寺「狗留孫山多寶院端山寺」跡(慶応4年/明治元年(1868年)からの廃仏毀釈で廃寺)があるとの由です。宮巡 〜神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト〜 ・ 羽山積神社(はやまつみじんじゃ) 狗留孫神社によれば、羽山寺(端山寺)羽山積神社(狗留孫神社)別当寺であり、江戸時代には、臨済宗から真言宗に転じて、薩摩国 鹿児島郡 鹿児島大乗院>(現・鹿児島県 ・ 鹿児島市鹿児島市地域高野山最大乗院)の末寺であったとの由です。
  宮崎県 ・ えびの市の歴史系観光スポットには、
木崎原古戦場跡があり、みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば木崎原古戦場跡の敷地内には、六地蔵塔,  三角田,  島津義弘の腰掛石,  島津義弘公歌碑等があるとの由です。この他、えびの市歴史民俗資料館,  首塚,  太刀洗川,  元巣塚げんそうづか,  三徳院,  飯野城跡亀城公園,  加久藤城跡かくとうじょうあと,  馬関田城跡まんがたじょうあと,  日向国 真幸院(まさきいん)の吉田(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の城である松尾城跡(この辺り(地図),  大明司諏訪神社地図,  白鳥権現社(現・白鳥神社)地図,  クルソン峡狗留孫峡の奥にある狗留孫神社くるそんじんじゃ狗留孫神社遺跡等があります。この他の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットは、宮崎県えびの市観光協会ホームページリンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「えびの市観光協会」のgoogle検索結果でお探し下さい),  えびの市役所ホームページ上のキーワード「観光」のgoogle検索結果,ならびに京町温泉郷ホームページ(京町温泉活性化プロジェクト会議)リンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「京町温泉」のgoogle検索結果でお探し下さい)等で、お探しいただけます。)

えびの市歴史民俗資料館(の場所)
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。えびの市大明司2146-2。Tel:0984-35-3144。えびの市観光協会でも観光マップ・加久藤エリアの中で、じゃらんネットでもえびの市歴史民俗資料館として紹介されています。
  
えびの市歴史民俗資料館は、えびの市民図書館等がある「えびの市文化の杜」にある、地域の歴史民俗博物館です。
  古墳時代からのえびの市の歴史として、えびの市に多い地下式横穴墓や板石積石室墓を展示したり、戦国時代の「九州桶狭間」と呼ばれる、島津義弘公と伊東義祐が戦った元亀3(1572)年の木崎原(きざきばる)の戦い(木崎原の合戦)(戦場跡は
木崎原古戦場跡)について説明されたりしています。えびの市の歴史と生活について展示されています。
  2011年4月現在、営業概要は以下のとおり。
営業時間:10:00〜18:00
定休日 :月曜日(祝日の場合には翌日)
入場料 :無料
駐車場 :あり(200台),無料。
  2013年4月現在、公共交通機関によるアクセスは、宮崎県 ・ えびの市にあるJR九州 ・ 吉都線 ・ えびの駅地図)からタクシーになります。鹿児島空港からえびの駅地図)付近へは、鹿児島空港発宮崎行き空港アクセス・バスで「高速バス『えびのIC』バス停」(地図)下車、でも行けます。宮崎空港からは、宮崎県 ・ 小林市にある「宮崎空港からのバスが到着する「小林バスセンター(地図)」または吉都線 ・ 小林駅地図)徒歩圏内の「本町」バス停(地図)」から「京町待合所」(地図)行きバスに乗車、「文化センター」バス停(地図)下車、、徒歩です。「文化センター」バス停(地図)については、逆方向として、宮崎県 ・ えびの市京町温泉吉都線 ・ 京町温泉駅地図)最寄りの「京町待合所」バス停(地図)から小林(小林バスセンター(地図)方面)行きバスに乗って行くこともできます。九州新幹線でお越しの方は、2013年4月現在新八代駅地図)から乗り換えられる高速連絡バス「B&Sみやざき(宮崎交通,  JR九州バス)」でえびの市,  小林市方面に行くことができ、「えびのIC(えびのインターチェンジ)(地図)」バス停(一部のみ停車)、「小林IC(小林インターチェンジ)(地図)」バス停下車となり、公共交通機関では、下車バス停から各市中心部や最寄り観光スポットへは、車(タクシー等)になります。バスの時刻表については九州のバス時刻表,  宮崎交通公式WEBサイト等で、タクシー会社については【iタウンページ】宮崎県えびの市のタクシー会社の検索結果で、お調べいただけます。
  九州新幹線でお越しの方にとって鉄路で行くためには、上述のえびの駅地図)へは、九州新幹線 ・ 鹿児島中央駅地図)で日豊本線に乗り換えて、隼人駅地図)で肥薩線に乗り換えて吉松駅地図)で吉都線に乗り換えるか、或いは、鹿児島中央駅地図)で日豊本線に乗り換えて都城駅地図)で吉都線に乗り換えるか、或いは、九州新幹線 ・ 新八代駅地図)で肥薩線に乗り換えて吉松駅地図)で吉都線に乗り換えるか、すれば行けます。隼人駅地図)で肥薩線に乗り換える場合には、2013年4月現在鹿児島中央駅地図)−吉松駅地図)間は観光特急「はやとの風」で行くことができ、都城駅地図)で吉都線に乗り換える場合には、鹿児島中央駅地図)−都城駅地図)間は特急きりしまで行くことができ、新八代駅地図)で肥薩線に乗り換える場合には、新八代駅地図)−人吉駅地図)は特急「くまがわ」または特急「九州横断特急」で行くことができ、人吉駅地図)−吉松駅地図)間は観光列車「いさぶろう・しんぺい」号で行くことができます。
  宮崎県 ・ えびの市
えびの市歴史民俗資料館以外の歴史系観光スポットには、木崎原古戦場跡があり、木崎原古戦場跡の敷地内には、六地蔵塔,  三角田,  島津義弘の腰掛石,  島津義弘公歌碑等があるとの由です。この他、首塚,  太刀洗川,  元巣塚げんそうづか,  三徳院,  飯野城跡亀城公園,  加久藤城跡かくとうじょうあと,  馬関田城跡まんがたじょうあと,  日向国 真幸院(まさきいん)の吉田(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の城である松尾城跡(この辺り(地図),  大明司諏訪神社地図,  白鳥権現社(現・白鳥神社),  クルソン峡狗留孫峡の奥にある狗留孫神社くるそんじんじゃ狗留孫神社遺跡等があります。この他の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットは、宮崎県えびの市観光協会ホームページリンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「えびの市観光協会」のgoogle検索結果でお探し下さい),  えびの市役所ホームページ上のキーワード「観光」のgoogle検索結果,ならびに京町温泉郷ホームページ(京町温泉活性化プロジェクト会議)リンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「京町温泉」のgoogle検索結果でお探し下さい)等で、お探しいただけます。
  最寄りの温泉地や温泉宿には、宮崎県 ・ えびの市
京町温泉,  吉田温泉,  えびの高原温泉(宿はえびの高原荘),  白鳥温泉,  宮崎県 ・ 小林市小林市地域恵の湯 神の郷温泉,  宮崎県 ・ 小林市須木村地域すきむらんど温泉かじかの湯(宿はすきむらんど),  宮崎県 ・ 小林市野尻町地域道の駅 ゆ〜ぱるのじり(立ち寄り湯),  宮崎県 ・ 西諸県郡 ・ 高原町(たかはるちょう)極楽温泉(宿は極楽温泉 匠の宿等があります。霧島連山山麓の鹿児島県側地域では、鹿児島県 ・ 湧水町栗野岳温泉,  吉松温泉郷,  鹿児島県 ・ 霧島市霧島温泉,  妙見温泉,  日当山(ひなたやま)温泉等があります。また、宮崎県 ・ えびの市の宿は【楽天トラベル】えびの市のホテル・旅館・民宿検索結果で、宮崎県 ・ 小林市の宿は【楽天トラベル】小林市のホテル・旅館・民宿検索結果で、宮崎県 ・ 西諸県郡 ・ 高原町(たかはるちょう)の宿は、【楽天トラベル】宮崎県西諸県郡高原町のホテル・旅館・民宿検索結果で、それぞれ、お探しいただけます。)

陸上自衛隊えびの駐屯地(基地)の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。2011年12月現在防衛省 ・ 陸上自衛隊 ・ 西部方面隊 ・ 第8師団・第24普通科連隊(即応予備自衛官を主体とするコア部隊),第8特科連隊第3大隊,第8後方支援連隊第2整備大隊等の部隊が駐屯しています。年1回のえびの駐屯地記念行事(基地公開)のイベントについては、第8師団公式WEBサイト,  自衛隊宮崎地方協力本部自衛隊宮崎地方協力本部公式WEBサイト等のホームページでご参照いただけ(リンク先URLは2011年12月現在)、例えば2011年は5月22日に実施されましたが、東日本大震災があった2011年は、一般公開は行われなかったとの由で、恐らくは被災地支援の災害派遣で出動していた影響かと拝察します(例年は一般公開されます)2011年12月現在、公式ホームページとしては師団本部(在熊本県)の第8師団公式WEBサイトがあり、この他、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」でも第8師団,  えびの駐屯地,  第24普通科連隊,  第8特科連隊,  第8後方支援連隊等として紹介されています。)

【楽天トラベル】京町温泉の温泉宿一覧(宮崎県えびの市)

【楽天トラベル】吉田温泉の温泉宿一覧(宮崎県えびの市)

【楽天トラベル】えびの市  ホテル・旅館一覧(検索結果)

【楽天市場】山形屋オンラインショップ
鹿児島の物産宮崎の物産については、【楽天市場】山形屋オンラインショップでもキーワード「鹿児島」の検索結果キーワード「宮崎」の検索結果でお買い求めいただくことができます。)


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鹿児島県
霧島市 霧島町地域 牧園町地域
隼人町地域 霧島市他地域
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湧水町 栗野町地域 吉松町地域
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高原町 高原町
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高崎町地域 高城町地域
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三股町 三股町
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鹿児島県 ・ 霧島市の、当画面(当ページ)で紹介していない地域は、このリンク先でご参照いただけます。)




木崎原古戦場跡の場所(きざきばるこせんじょうあと)
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。〒889-4303 宮崎県えびの市池島。全国旅そうだんでも木崎原古戦場として、じゃらんネットでも木崎原古戦場として、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも木崎原の戦いとして、国立国会図書館ホームページ ・ 近代デジタルライブラリー ・ キーワード「三国名勝図会」の検索結果でも三国名勝図会:60巻,18(巻之52-54)コマ番号65-68で、みやざき観光情報 旬ナビ(公益財団法人みやざき観光コンベンション協会)でも木崎原古戦場跡の中で(リンク先URLは2015年2月現在)みやざきデジタルアーカイブ ・ みやざき文化財情報でも木崎原古戦場跡として(リンク先URLは2015年2月現在)えびの市役所ホームページでも文化財・木崎原古戦場跡の中で(リンク先URLは2015年2月現在)宮崎県えびの市観光協会でも飯野エリアの中で(リンク先URLは2015年2月現在)彰悟の詩と写真 ・ 宮崎県の山と観光地・行楽地でも木崎原古戦場跡、飯野高校、京町温泉|えびの市|宮崎観光として紹介されています。また、周遊ルートについては、みやざきデジタルアーカイブ ・ みやざき文化財情報 ・ 文化財見学ルートでも文化財ルート08 兵どもの夢のあと〜島津・伊東氏攻防の地を巡る〜として(リンク先URLは2015年2月現在)、紹介されています。
  
木崎原古戦場跡とは、「九州桶狭間」,「日向国桶狭間」などとと呼ばれる、戦国時代の元亀3年5月4日(1572年6月14日)に名将・島津忠平(後の島津義弘)公がわずか300名の手勢で、日向 伊東氏の3,000名の大軍を撃破した「木崎原の戦い」の古戦場の跡地です。「木崎原」は「きざきばる」と読みます。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、「木崎原の戦い(木崎原合戦)」というのは島津氏側の呼び方であり、日向 伊東氏側からは「覚頭合戦(加久藤合戦)」と呼ばれているとの由です。
  宮崎県高等学校社会科研究会宮崎県の歴史散歩山川出版社,2006)p.177,  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い,  飯野城等によれば、日向国 真幸院(まさきいん)(今日の宮崎県 ・ えびの市,  小林市)は、中世には北原氏が領有していましたが、北原氏没落後に島津氏が領有することになりました。真幸院における北原氏の歴史についての概略は、
(当画面(当ページ)下方の)飯野城案内欄で述べていますので、そちらでご参照いただけます。薩摩国 鹿児島郡 鹿児島(現・鹿児島県 ・ 鹿児島市鹿児島市地域)の内城うちじょう城主で三州(薩摩国,  大隅国,  日向国守護戦国大名で、島津氏宗家第15代当主・島津貴久公は、次男の島津忠平(後の島津義弘)公を真幸院に送り込みました。これに伴い、永禄7年(1564年)に、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城と、日向国 真幸院の加久藤(かくとう;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧加久藤町地域)の加久藤城島津氏の城となって島津忠平(後の島津義弘)公の城となり、飯野城には島津忠平(後の島津義弘)公本人が入り、加久藤城には川上忠智を城代として、嫡子の鶴寿丸(つるひさまる)を住まわせていました。
  島津氏による三州(薩摩国,  大隅国,  日向国)の領国内統一平定戦の過程で日向国(概ね現在の宮崎県)では、日向国 那珂郡 佐土原(さどわら)(現・宮崎県 ・ 宮崎市佐土原町地域)の
佐土原城さどわらじょうと、日向国 児湯郡(こゆぐん)都於郡(とのこおり)(現・宮崎県 ・ 西都市 大字鹿野田,大字都於郡町等)の都於郡城とのこおりじょうとを拠点にしていた、日向国の反島津氏国人戦国大名日向 伊東氏は、日向国守護戦国大名 ・ 島津氏と長年敵対していました。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、元亀2年(1571年)6月に島津氏宗家第15代当主・島津貴久公が死んだことを日向 伊東氏の勢力拡大の好機と認識した日向 伊東氏第10代当主・伊東義祐は、翌元亀3年(1572年)5月に、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)と加久藤(かくとう;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧加久藤町地域)への大侵攻を開始したとの由です。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い,  上別府宮内少輔,  長倉伴九郎,ならびに米良重方によれば、伊東義祐本人は出陣せず、日向国 真幸院(まさきいん)(今日の宮崎県 ・ えびの市,  小林市)の三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市)の内木場城この辺り(地図)城主の伊東祐安(伊東加賀守)を総大将として、伊東帰雲斎(伊東祐松)の孫の伊東祐信(伊東新次郎)伊東又次郎、伊東祐青を大将とし、日向国 宮崎郡 清武(きよたけ)(現・宮崎県 ・ 宮崎市清武町地域)の清武城きよたけじょう城主(清武 地頭)を共に努めた上別府宮内少輔(かみべっぷ くないしょうゆう)長倉伴九郎須木城がある日向国 諸県郡(もろかたぐん) 須木(すき;現・宮崎県 ・ 小林市須木村地域)の領主(兼)日向国 真幸院(まさきいん)三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の三ツ山城(後の小林城城主(三ツ山 地頭)(兼)日向国 真幸院三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)の野首(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域大字(おおあざ)「東方(この辺り)」の、恐らくは「野首」バス停(地図)周辺地域)の野首城野久尾城城主(野久尾地頭)の米良重方(めら しげかた)等の武将が伊東軍に参加して、3,000余名の大軍になっていたとの由です。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、元亀3年5月3日(1572年6月13日)夜中に
三ツ山城(後の小林城を出発した伊東軍は、翌日(元亀3年5月4日(1572年6月14日))未明に日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の妙見原(みょうけんばる;現・宮崎県 ・ えびの市大字(おおあざ)原田字(あざ)妙見原(この辺り(地図)))で軍勢を二手に分けて、一軍は島津忠平(後の島津義弘)公の居城・飯野城への抑えとして妙見原に留めた上で、それ以外の一軍は伊東祐安(伊東加賀守)伊東又次郎が率いて加久藤城攻撃に向かったとの由です。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い,  国立国会図書館ホームページ ・ 近代デジタルライブラリー ・ キーワード「三国名勝図会」の検索結果 ・ 三国名勝図会:60巻,18(巻之52-54)コマ番号65-68,ならびに宮崎県の歴史散歩p.177によれば、加久藤城攻撃に向かった伊東軍は、加久藤城城下の民家を焼き、その炎で夜空が染まり、それを見た肥後民部少輔の報告で飯野城島津忠平(後の島津義弘)公は異変に気づきましたが、元々、日向国 真幸院の加久藤(かくとう;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧加久藤町地域)の三徳院天台宗)の盲僧・眞盛(真盛;初めの名は菊一(菊市))を間諜(スパイ)として日向 伊東氏領に送り込んで事前に情報を掴んでいたため、落ち着いていたとの由です。この情報の事前把握について付言すれば、例えば後述するこの時の島津氏側の武将の内、鎌田政年は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 平山城(大隅国)によれば、この時期もそうであったか否かは確認できませんでしたが大隅国 桑原郡(後に、江戸時代には始羅郡(しらぐん))帖佐(ちょうさ;現・鹿児島県 ・ 姶良市姶良町地域の一部)の平山城(平安城)城主(帖佐地頭)だったことがある武将であり、島津忠平(後の島津義弘)公の家臣(=島津義久公から見れば陪臣)ではなく島津義久公の直臣ですので、鎌田政年がこの時に日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)にいたということは、表敬訪問中だったりでもしない限り、島津忠平(後の島津義弘)公が日向 伊東氏の襲来に予め備えていたことの傍証になると、当ホームページ管理人は考えます。島津忠平(後の島津義弘)公は狼煙(のろし)を上げさせて、薩摩国 伊佐郡 大口(現・鹿児島県 ・ 伊佐市大口市地域の一部)の大口城城主・新納忠元(にいろ ただもと)日向国 真幸院の馬関田(まんがた;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の馬関田城まんがたじょう等に急を知らせたとの由です。島津忠平(後の島津義弘)公は大凡(おおよそ)300名の自軍を分けて、遠矢良賢に60人を率いさせて加久藤城の救援に回らせて、村尾源左衛門(村尾重侯)に50人を督せしめて日向国 真幸院飯野の本地原(現・宮崎県 ・ えびの市大字(おおあざ)原田字(あざ)本地原(この辺り(地図)))の古溝に伏せさせて、五代勝左衛門(五代友喜)に40余人を預けて白鳥山地図の山麓の野間門(野間口)(注1)の民家に伏させて、有川貞真飯野城の留守を任せたとの由です。また、諏方山(ママ大戸諏方社(大戸諏方大明神,現・大明司諏訪神社地図(えびの市大字大明司)の山(注2))及び横尾八幡山(現在地不明)に旗幟を張って、疑兵を成したとの由です。島津忠平(後の島津義弘)公は、自ら130の兵を率いて出陣して、飯野城加久藤城との間の二八坂(この辺り(地図)?(注3))に陣を張ったとの由です。
(注1) 野間門の具体的な場所は調べてもよく分かりませんでしたが、白鳥山地図山麓という情報に基づけば、白鳥山地図から白鳥権現社(現・白鳥神社)地図を経て飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)方面に抜ける道は今日では宮崎県道30号えびの高原小田線ですので、今日の宮崎県道30号えびの高原小田線沿線であろうと推測します。彰悟の詩と写真 ・ 宮崎県の山と観光地・行楽地 ・ 木崎原古戦場跡、飯野高校、京町温泉|えびの市|宮崎観光掲載の木崎原古戦場跡にある絵地図の写真でも、木崎原古戦場跡のざっくり南南西辺りに野間門があることになっており、これは、先述の今日の宮崎県道30号えびの高原小田線沿線辺りになります。であれば、ここ(地図)から半径数百mの範囲内が野間門の場所なのではないか、と推測します。
(注2) 「諏方山」ならびに「大戸諏方社(大戸諏方大明神)」の「諏方」は「諏訪」の誤記ではない模様であり、国立国会図書館ホームページ ・ 近代デジタルライブラリー ・ キーワード「三国名勝図会」の検索結果 ・ 三国名勝図会:60巻,18(巻之52-54)コマ番号67では、「諏方」と表記されています。諏方山が大戸諏方社(大戸諏方大明神)の山である旨は三国名勝図会:60巻,18(巻之52-54)コマ番号67に載っていたことです。また、大戸諏方社(大戸諏方大明神)が今日の大明司諏訪神社)(地図である旨は、石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋・田の神・庚申塔・仁王像 ・ 30.大明司諏訪神社によるものです。
(注3) 二八坂の具体的な場所はよく分かりませんでした。しかし、宮崎県 ・ えびの市大字(おおあざ)「大明司」に字(あざ)「二八の下(この辺り(地図))」があり、その場所は、彰悟の詩と写真 ・ 宮崎県の山と観光地・行楽地 ・ 木崎原古戦場跡、飯野高校、京町温泉|えびの市|宮崎観光掲載の木崎原古戦場跡にある絵地図の写真にある二八坂の場所と、ほぼ一致します。したがって、えびの市大字(おおあざ)「大明司」の字(あざ)「二八の下(この辺り(地図))」辺りが、二八坂の下なのではないか、と推測します。

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い,  国立国会図書館ホームページ ・ 近代デジタルライブラリー ・ キーワード「三国名勝図会」の検索結果 ・ 三国名勝図会:60巻,18(巻之52-54)コマ番号65-68,ならびに宮崎県の歴史散歩p.177によれば、
加久藤城に向かった伊東祐安(伊東加賀守)率いる日向 伊東氏の一隊は、加久藤城の搦め手に通じる鑰掛口に迫ったものの、城と間違えて、鑰掛への登り口にある山伏 樺山浄慶の屋敷を誤って攻撃したとの由です。樺山浄慶父子計3人は、多数の将兵がいるように見せかけながら上から石を投下して奮戦しましたが、討ち取られてしまったとの由です。伊東祐安(伊東加賀守)隊は、さらに鑰掛口を進みましたが、隘路である上に断崖のため上から石や弓矢を浴びせられて苦戦したとの由です。そこに加久藤城を守る川上忠智が城から打って出て、狼煙によって駆け付けた日向国 真幸院の馬関田(まんがた;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の馬関田城まんがたじょう,  日向国 真幸院の吉田(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の松尾城(この辺り(地図)(注)えびの市大字(おおあざ)「内竪」字(あざ)「城西」)からの救援隊と、先述の遠矢良賢率いる60人の兵による攻撃を受けて、伊東祐安(伊東加賀守)隊は撤退を余儀なくされたとの由です。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、この一戦で、伊東杢右衛門や、須木城がある日向国 諸県郡(もろかたぐん) 須木(すき;現・宮崎県 ・ 小林市須木村地域)の領主(兼)日向国 真幸院(まさきいん)三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の三ツ山城(後の小林城城主(三ツ山 地頭)(兼)日向国 真幸院三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)の野首(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域大字(おおあざ)「東方(この辺り)」の、恐らくは「野首」バス停(地図)周辺地域)の野首城野久尾城城主(野久尾地頭)の米良重方(めら しげかた)が討ち取られたとの由ですが、米良重方の戦死タイミングについては異説もあるとの由です。また、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、この頃、肥後国 球磨郡 人吉(現・熊本県 ・ 人吉市)の人吉城城主で肥後国国人戦国大名 ・ 相良氏(さがらし)第18代当主・相良義陽の軍500人は、先述の島津忠平(後の島津義弘)公が諏方山(ママ大戸諏方社(大戸諏方大明神,現・大明司諏訪神社)(地図(えびの市大字大明司)の山)に張った旗幟を見て、ここに島津氏の将兵がいると誤認して、肥後国 球磨郡 人吉に帰って行ったとの由です。
(注) 国立国会図書館ホームページ ・ 近代デジタルライブラリー ・ キーワード「三国名勝図会」の検索結果 ・ 三国名勝図会:60巻,18(巻之52-54)コマ番号12によれば江戸時代日向国 諸県郡(もろかたぐん)吉田郷欄で書かれている城跡は松尾城のものだけであることと、宮崎大学附属図書館 宮崎県遺跡リポジトリ ・ 宮崎県えびの市教育委員会編『えびの市の城館跡』(えびの市埋蔵文化財調査報告書No.45,2008)p.71によれば松尾城跡は吉田郷にあったとの由であることから、は日向国 真幸院の吉田の城は松尾城であろうと推測します。松尾城の場所(この辺り(地図))は、この宮崎県えびの市教育委員会編『えびの市の城館跡』(えびの市埋蔵文化財調査報告書No.45,2008)pp.3-4の地図によるものです。

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い,ならびに宮崎県の歴史散歩p.177によれば、退却した伊東祐安(伊東加賀守)の隊は池島川まで下がり、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の
鳥越城跡地図(注)えびの市大字(おおあざ)「池島」字(あざ)「鳥越」)で休息したとの由です。兵の多さによる油断と、蒸し暑さのために川で水浴びしていた伊東軍を、伊東軍がここにいることを斥候・沢田八専から知らされた島津忠平(後の島津義弘)公の部隊が急襲して、伊東軍の多くの将兵を討ち捨てたとの由です。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、島津忠平(後の島津義弘)公は、三角田伊東祐信(伊東新次郎)一騎打ちの上で討ち取り、この時、島津忠平(後の島津義弘)公の栗毛牝馬(ひんば)は、伊東祐信(伊東新次郎)が突き出した槍の穂先が島津忠平(後の島津義弘)公を狙った時に膝(ひざ)を曲げてこれをかわしたことから、この愛馬は「膝突栗毛」と呼ばれるようになったとの由です。三角田は、今日の木崎原古戦場跡の敷地にある模様です。ただし、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い等によれば、膝(ひざ)を曲げたエピソードの際の島津忠平(後の島津義弘)公の一騎打ちは、日向国 真幸院三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の鬼塚原(後の粥餅田古戦場跡)での、柚木崎正家(ゆのきざき まさいえ)との一騎打ちであるという異説があるとの由です。島津忠平(後の島津義弘)公は頃合いを見て退却したとの由です。一方、伊東軍は、伊東祐信(伊東新次郎)隊は、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の妙見原(みょうけんばる;現・宮崎県 ・ えびの市大字(おおあざ)原田字(あざ)妙見原(この辺り(地図)))に留まっていた本隊と合流した上で、白鳥山地図を抜けるコースで、日向国 諸県郡(もろかたぐん) 高原(たかはる;現・宮崎県 ・ 西諸県郡 高原町(たかはるちょう))の高原城へと退却を始めたとの由です。
(注) 鳥越城跡の場所(地図)は、宮崎大学附属図書館 宮崎県遺跡リポジトリ ・ 宮崎県えびの市教育委員会編『えびの市の城館跡』(えびの市埋蔵文化財調査報告書No.45,2008)pp.3-4,ならびにpp.93-94の地図によるものです。

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い,  国立国会図書館ホームページ ・ 近代デジタルライブラリー ・ キーワード「三国名勝図会」の検索結果 ・ 三国名勝図会:60巻,18(巻之52-54)コマ番号65-68,ならびに宮崎県の歴史散歩pp.176-178によれば、伊東軍が
白鳥山地図に登ると、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の白鳥権現社(現・白鳥神社)地図別当寺 ・ 白鳥山金剛乗院満足寺(この時期には真言宗寺院,  後に廃仏毀釈で廃寺)の座主・光巌上人が、僧侶と農民合わせて300人余りの者に、鉦(しょう) ・ 太鼓(たいこ)を打ち鳴らさせた上に、白い幟(のぼり)を押し立てさせて伏兵を装わせたとの由です。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 黒木実利によれば、この偽兵は、島津忠平(後の島津義弘)公の家臣・黒木実利が光巌上人に使いを出して、組織させたものであるとの由です。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、慌(あわ)てて戻る伊東軍に対して、島津忠平(後の島津義弘)公は、鎌田政年に兵60名を預けて敵(伊東軍)の背後に回らせて、自(みずか)らは敵の正面に突撃したとの由ですが、この一戦には敗れて撤退し、島津忠平(後の島津義弘)公を逃がすために遠矢良賢ら6人が討たれたとの由です。その間に島津忠平(後の島津義弘)公の部隊は、加久藤城からの援軍を吸収して態勢を立て直して再び伊東軍と激突したとの由です。えびの市役所ホームページ ・ 文化財・木崎原古戦場跡によれば(リンク先URLは2015年2月現在)遠矢良賢ら6人が討たれた場所は三角田であり、宮崎県えびの市観光協会 ・ 飯野エリアによれば(リンク先URLは2015年2月現在)島津忠平(後の島津義弘)公が態勢を立て直して再び伊東軍と激突した場所も三角田であるとの由です。三角田は、今日の木崎原古戦場跡の敷地にあるとの由です。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い等によれば、島津忠平(後の島津義弘)公が態勢を立て直して再び伊東軍と激突した時、背後からは鎌田政年伊東軍を攻撃し、白鳥山地図の山麓の野間門(野間口)に伏せていた五代勝左衛門(五代友喜)隊が側面から伊東軍を攻撃したとの由です。結果的に釣り野伏せの戦況になって伊東軍は崩壊状況に陥ったとの由です。崩壊した伊東軍は、日向国 真幸院三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の三ツ山城(後の小林城に退却を始めたとの由ですが、日向国 真幸院飯野の本地原(現・宮崎県 ・ えびの市大字(おおあざ)原田字(あざ)本地原(この辺り(地図)))に来た時に、伏せていた村尾源左衛門(村尾重侯)隊の攻撃を受けて、総大将・伊東祐安(伊東加賀守)が脇下を射ぬかれて戦死したとの由です。ただし、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、伊東祐安(伊東加賀守)の戦死の状況には異説もあるとの由です。また、伊東祐安(伊東加賀守)の嫡子の伊東祐次と、伊東祐安(伊東加賀守)の弟の伊東右衛門ら160名は、三ツ山城(後の小林城とは反対方向の丘の上に逃げたところ、遅れて到着した薩摩国 伊佐郡 大口(現・鹿児島県 ・ 伊佐市大口市地域の一部)の大口城城主・新納忠元(にいろ ただもと)隊150騎の攻撃を受けて、討ち死にしたとの由です。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い,  小林市ホームページ ・ 観光の情報 ・ 粥餅田古戦場跡,ならびに小林市観光協会 ・ 粥餅田古戦場跡によれば(リンク先URLは2015年2月現在)島津軍は、日向国 真幸院三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の
鬼塚原、後に粥餅田(かゆもちだ)と呼ばれるようになる場所(粥餅田古戦場跡)まで伊東軍を追撃したとの由です。島津軍は、粥餅田で、柚木崎正家(ゆのきざき まさいえ),肥田木玄斎を討ち取り、そこで追撃中止の法螺貝(ホラガイ)を鳴らさせたとの由です。なお、小林市ホームページ ・ 観光の情報 ・ 粥餅田古戦場跡等では、上述の栗毛牝馬(ひんば)が膝(ひざ)を曲げて槍の穂先から島津忠平(後の島津義弘)公をかわさせて守ったエピソードは、上述の伊東祐信(伊東新次郎)との一騎打ちではなく、この鬼塚原(後の粥餅田古戦場跡)での柚木崎正家との間の一騎打ちの際のことであるという話が載っています。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い,ならびに宮崎県の歴史散歩p.177によれば、伊東軍は幹部クラスの武士128人を含めた士分250余人、雑兵560人余りを失う大損害を出して敗北し、一方、勝った側の島津軍も士分150人、雑兵107人、総兵力の8割という損害を出したという、壮絶な合戦であったとの由です。量だけでなく質の面では、伊東軍は、総大将の伊東祐安(伊東加賀守)をはじめとして、伊東祐信(伊東新次郎),  伊東又次郎,  伊東祐次,  伊東右衛門,  伊東杢右衛門,  落合兼置,  米良重方(めら しげかた),  米良喜右介,  米良長門守,  柚木崎正家(ゆのきざき まさいえ),  丸目頼美,  長倉六三郎,  長倉伴九郎,  上別府宮内少輔(かみべっぷ くないしょうゆう)という幹部級の武将が軒並み討ち死にし、生き残れたのは伊東祐青ぐらいのものであるという大打撃を被ったとの由です。これに対して島津軍は、幹部級の武将や名のある者の内で戦死したのは遠矢良賢樺山浄慶父子ぐらいのものであり、それ以外の島津軍の幹部級の武将は生き残ったため、質の面では島津軍の圧勝でした。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、島津軍の生き残った幹部級の武将には、この合戦の総大将の島津忠平(後の島津義弘)公をはじめとして、鎌田政年,  鎌田政近,  上井覚兼(うわい かくけん),  宮原景種,  川上忠智,  村尾重侯,  五代友喜,  黒木実利,  町田忠辰 ,  西田武蔵守,  赤塚重増,  富永万左衛門,  薩摩国 伊佐郡 大口(現・鹿児島県 ・ 伊佐市大口市地域の一部)の
大口城城主・新納忠元(にいろ ただもと)(援軍)等が挙げられるとの由です。
  島津軍がわずか300名の少ない手勢で日向 伊東氏の3,000名の大軍を撃破したことから、木崎原の戦い(覚頭合戦(加久藤合戦))は、「九州桶狭間」,「日向国桶狭間」などとと呼ばれています。織田信長桶狭間の合戦今川氏没落の契機(きっかけ)或いは遠因になったのと同様に、「九州桶狭間日向国桶狭間)」たる木崎原の戦い(覚頭合戦(加久藤合戦))も、日向 伊東氏没落の契機或いは遠因になったと言われています。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い等によれば、政治・戦略的に具体的には元亀3年(1572年)のこの合戦を契機にして、日向 伊東氏は天正5年(1577年)の伊東崩れで内部崩壊して日向国の統治権を失い、大友氏の力を借りて巻き返しを図ろうとしたものの、天正6年(1578年)の耳川の戦い(戦場跡は、現・宮崎県 ・ 児湯郡 ・ 木城町から川南町にかけての
耳川の戦い古戦場)で完全に日向国から駆逐されるに至りました。その結果、島津氏は、悲願だった三州(薩摩国,  大隅国,  日向国)の領国の完全な回復を成し遂げました。また、戦術的には、この木崎原の戦い島津軍が、主力が一旦退いて敵をおびき寄せることによって包囲網を形成する形になった戦法は、後に「釣り野伏せ」と呼ばれる島津軍の常套手段的必勝パターンの戦術になりました(ただし、木崎原の戦い釣り野伏せ」になったのは、結果論であって狙って行ったとは言い難いという指摘もあります)。島津氏木崎原の戦い以降も、上述の天正6年(1578年)の耳川の戦い、天正12年(1584年)の沖田畷の戦い(戦場跡は、肥前国 高来郡(たかきぐん)島原の北門周辺(現・長崎県 ・ 島原市北門町周辺)の沖田畷古戦場)、天正14年(1587年)の戸次川(へつぎがわ)の戦い(戦場跡は、豊後国 大分郡稙田荘戸次庄(へつぎのしょう)(現・大分県 ・ 大分市 大字中戸次)の戸次川古戦場)という重要な合戦で「釣り野伏せ」を用いて勝利していますが、重要な合戦で初めて「釣り野伏せ」が用いられたのが、木崎原の戦いです。このように、木崎原の戦いは、政略・戦略・戦術各局面で極めて意義深い合戦でもあります。
  2015年2月現在、公共交通機関での交通・アクセスは、宮崎県 ・ えびの市にあるJR九州 ・ 吉都線 ・ えびの駅地図)から徒歩、またはタクシーになります。鹿児島県 ・ 霧島市溝辺町地域
鹿児島空港公式HP,  地図からえびの駅地図)付近へは、鹿児島空港発宮崎行き空港アクセス・バスで「高速バス『えびのIC』バス停」(地図)下車、そこからタクシー等になります。宮崎空港からは、宮崎県 ・ 小林市にある「宮崎空港からのバスが到着する「小林バスセンター(地図)」に行き、そこから小林駅地図)に行ってJR九州 ・ 吉都線の列車に乗るか、或いは、宮崎空港から都城方面西都城行き(「西都城駅前バスセンター」(地図))行きバスに乗り、「都城駅前」バス停(地図)下車、都城駅地図)からJR九州 ・ 吉都線に乗るか、或いは、宮崎空港から空港アクセス鉄道・JR九州 ・ 宮崎空港線南宮崎駅地図)に行き、南宮崎駅地図)で特急きりしま等のJR九州 ・ 日豊本線の列車に乗り換えて都城駅地図)に行き、都城駅地図)でJR九州 ・ 吉都線の列車に乗り換えるかすれば、吉都線 ・ えびの駅地図)に行くことができます。九州新幹線でお越しの方は、2013年4月現在新八代駅地図)から乗り換えられる高速連絡バス「B&Sみやざき(宮崎交通,  JR九州バス)」でえびの市,  小林市方面に行くことができ、「えびのIC(えびのインターチェンジ)(地図)」バス停(一部のみ停車)、そこからタクシー等になります。バスの時刻表については九州のバス時刻表,  宮崎交通公式WEBサイト等で、タクシー会社については【gooタウンページ】タクシー会社の検索結果で、お調べいただけます。
  九州新幹線でお越しの方にとって鉄路て行くためには、上述のえびの駅地図)へは、九州新幹線 ・ 鹿児島中央駅地図)で日豊本線に乗り換えて、隼人駅地図)で肥薩線に乗り換えて吉松駅地図)で吉都線に乗り換えるか、或いは、鹿児島中央駅地図)で日豊本線に乗り換えて都城駅地図)で吉都線に乗り換えるか、或いは、九州新幹線 ・ 新八代駅地図)で肥薩線に乗り換えて吉松駅地図)で吉都線に乗り換えるか、すれば行けます。隼人駅地図)で肥薩線に乗り換える場合には、2013年4月現在鹿児島中央駅地図)−吉松駅地図)間は観光特急「はやとの風」で行くことができ、都城駅地図)で吉都線に乗り換える場合には、鹿児島中央駅地図)−都城駅地図)間は特急きりしまで行くことができ、新八代駅地図)で肥薩線に乗り換える場合には、新八代駅地図)−人吉駅地図)は特急「くまがわ」または特急「九州横断特急」で行くことができ、人吉駅地図)−吉松駅地図)間は観光列車「いさぶろう・しんぺい」号で行くことができます。
  木崎原の戦い(きざきばるのたたかい,別名:覚頭合戦(加久藤合戦(かくとうがっせん)))関連の観光スポット・史跡スポットには、宮崎県 ・ えびの市
木崎原古戦場跡があり、みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、木崎原古戦場跡の敷地内に六地蔵塔,  三角田,  伊東新次郎(伊東祐信)との一騎打ちの際に島津義弘公が腰を掛けて休息した石と伝わる島津義弘の腰掛石,  慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に島津義弘公が詠まれた歌(短歌)「いそぐなよまた急ぐなよ世の中の定まる風の吹かぬかぎりは」が刻まれている島津義弘公歌碑等があるとの由です。木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦の舞台になったり参加武将や武士達の居城だったりした城跡・関連する博物館等にはこの他、宮崎県 ・ えびの市木崎原古戦場跡の徒歩圏の連動周遊エリアには首塚,  太刀洗川,  元巣塚げんそうづか,  鳥越城跡地図,  えびの市市の木崎原古戦場跡からは徒歩圏の場所にはえびの市歴史民俗資料館,  三徳院,  飯野城跡亀城公園,  加久藤城跡かくとうじょうあと,  馬関田城跡まんがたじょうあと,  日向国 真幸院(まさきいん)の吉田(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の城だった松尾城跡(この辺り(地図),  諏方山(大明司諏訪神社地図)がある山),  白鳥山地図の山麓にある白鳥権現社(現・白鳥神社)地図(の別当寺 ・ 白鳥山金剛乗院満足寺跡(廃寺))等があります。また、宮崎県 ・ 小林市木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦参加武将の居城跡には、小林市小林市地域伊東塚,  粥餅田古戦場跡かゆもちだこせんじょうあと,  小林城跡城山公園(元亀3年(1572年)の木崎原の戦い当時の城の名前は三ツ山城),  内木場城(うちこばじょう)跡(この辺り(地図)があり、小林市須木村地域米良筑後守の墓,  米良筑後守の首桶が保管されている須木総合ふるさとセンター,  須木城跡城山公園等があります。また、鹿児島県 ・ 伊佐市大口市地域には、木崎原の戦いに援軍として参加した島津軍の武将・新納忠元(にいろ ただもと)の居城スポットとして、大口城跡があります。木崎原の戦い以外の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットには、クルソン峡狗留孫峡の奥にある狗留孫神社くるそんじんじゃ狗留孫神社遺跡があります。この他の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットは、宮崎県えびの市観光協会ホームページリンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「えびの市観光協会」のgoogle検索結果でお探し下さい),  えびの市役所ホームページ上のキーワード「観光」のgoogle検索結果,ならびに京町温泉郷ホームページ(京町温泉活性化プロジェクト会議)リンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「京町温泉」のgoogle検索結果でお探し下さい)等で、お探しいただけます。
  最寄りの温泉地や温泉宿には、宮崎県 ・ えびの市
京町温泉,  吉田温泉,  えびの高原温泉(宿はえびの高原荘),  白鳥温泉,  宮崎県 ・ 小林市小林市地域恵の湯 神の郷温泉,  宮崎県 ・ 小林市須木村地域すきむらんど温泉かじかの湯(宿はすきむらんど),  宮崎県 ・ 小林市野尻町地域道の駅 ゆ〜ぱるのじり(立ち寄り湯),  宮崎県 ・ 西諸県郡 ・ 高原町(たかはるちょう)極楽温泉(宿は極楽温泉 匠の宿等があります。霧島連山山麓の鹿児島県側地域では、鹿児島県 ・ 湧水町栗野岳温泉,  吉松温泉郷,  鹿児島県 ・ 霧島市霧島温泉,  妙見温泉,  日当山(ひなたやま)温泉等があります。また、宮崎県 ・ えびの市の宿は【楽天トラベル】えびの市のホテル・旅館・民宿検索結果で、宮崎県 ・ 小林市の宿は【楽天トラベル】小林市のホテル・旅館・民宿検索結果で、宮崎県 ・ 西諸県郡 ・ 高原町(たかはるちょう)の宿は、【楽天トラベル】宮崎県西諸県郡高原町のホテル・旅館・民宿検索結果で、それぞれ、お探しいただけます。)

六地蔵塔の場所
(リンク先は、みやざきデジタルアーカイブ ・ みやざき文化財情報 ・ 文化財見学ルート ・ 文化財ルート08 兵どもの夢のあと〜島津・伊東氏攻防の地を巡る〜に基づくアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。住所:宮崎県えびの市池島,電話:0984-35-3838(宮崎県えびの市観光協会)。みやざき観光情報 旬ナビ(公益財団法人みやざき観光コンベンション協会)でも木崎原古戦場跡の中で(リンク先URLは2015年2月現在)えびの市役所ホームページでも文化財・木崎原古戦場跡の中で(リンク先URLは2015年2月現在)宮崎県えびの市観光協会でも飯野エリアの中で(リンク先URLは2015年2月現在)、紹介されています。
  宮崎県高等学校社会科研究会宮崎県の歴史散歩山川出版社,2006)p.176によれば、
六地蔵塔は、戦国時代の元亀3年5月4日(1572年6月14日)に日向国 真幸院(まさきいん)(今日の宮崎県 ・ えびの市,  小林市)の飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城城主・島津忠平(後の島津義弘)公が率いるわずか300名の島津軍が、日向 伊東氏の3,000名の大軍を打ち破った、「九州桶狭間」,「日向国桶狭間」等の異名でも知られる木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)(場所は、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の木崎原古戦場跡)関連の史跡スポットであるとの由です。みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、六地蔵塔は、木崎原古戦場跡の敷地内にあるとの由です。宮崎県の歴史散歩p.176によれば、六地蔵塔は、木崎原の戦いの後、両軍合わせて800余名の敵味方双方の戦没者を供養するために、島津忠平(後の島津義弘)公がが建立した石灯籠(いしどうろう)式の六地蔵塔であるとの由であり、宮崎県史跡に指定されているとの由です。
  上述のとおり、みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、
六地蔵塔は、木崎原古戦場跡の敷地内にあるとの由ですので、行き方・アクセスについては、(当ホームページ内の)木崎原古戦場跡紹介欄をご参照下さい。
  木崎原の戦い(きざきばるのたたかい,別名:覚頭合戦(加久藤合戦(かくとうがっせん)))関連の観光スポット・史跡スポットには、宮崎県 ・ えびの市
木崎原古戦場跡があり、みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、木崎原古戦場跡の敷地内に六地蔵塔,  三角田,  伊東新次郎(伊東祐信)との一騎打ちの際に島津義弘公が腰を掛けて休息した石と伝わる島津義弘の腰掛石,  慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に島津義弘公が詠まれた歌(短歌)「いそぐなよまた急ぐなよ世の中の定まる風の吹かぬかぎりは」が刻まれている島津義弘公歌碑等があるとの由です。木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦の舞台になったり参加武将や武士達の居城だったりした城跡・関連する博物館等にはこの他、宮崎県 ・ えびの市木崎原古戦場跡の徒歩圏の連動周遊エリアには首塚,  太刀洗川,  元巣塚げんそうづか,  鳥越城跡地図,  えびの市市の木崎原古戦場跡からは徒歩圏の場所にはえびの市歴史民俗資料館,  三徳院,  飯野城跡亀城公園,  加久藤城跡かくとうじょうあと,  馬関田城跡まんがたじょうあと,  日向国 真幸院(まさきいん)の吉田(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の城だった松尾城跡(この辺り(地図),  諏方山(大明司諏訪神社地図)がある山),  白鳥山地図の山麓にある白鳥権現社(現・白鳥神社)地図(の別当寺 ・ 白鳥山金剛乗院満足寺跡(廃寺))等があります。また、宮崎県 ・ 小林市木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦参加武将の居城跡には、小林市小林市地域伊東塚,  粥餅田古戦場跡かゆもちだこせんじょうあと,  小林城跡城山公園(元亀3年(1572年)の木崎原の戦い当時の城の名前は三ツ山城),  内木場城(うちこばじょう)跡(この辺り(地図)があり、小林市須木村地域米良筑後守の墓,  米良筑後守の首桶が保管されている須木総合ふるさとセンター,  須木城跡城山公園等があります。また、鹿児島県 ・ 伊佐市大口市地域には、木崎原の戦いに援軍として参加した島津軍の武将・新納忠元(にいろ ただもと)の居城スポットとして、大口城跡があります。木崎原の戦い以外の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットには、クルソン峡狗留孫峡の奥にある狗留孫神社くるそんじんじゃ狗留孫神社遺跡があります。この他の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットは、宮崎県えびの市観光協会ホームページリンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「えびの市観光協会」のgoogle検索結果でお探し下さい),  えびの市役所ホームページ上のキーワード「観光」のgoogle検索結果,ならびに京町温泉郷ホームページ(京町温泉活性化プロジェクト会議)リンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「京町温泉」のgoogle検索結果でお探し下さい)等で、お探しいただけます。
  最寄りの温泉地や温泉宿には、宮崎県 ・ えびの市
京町温泉,  吉田温泉,  鹿児島県 ・ 湧水町栗野岳温泉,  吉松温泉郷,  鹿児島県 ・ 霧島市霧島温泉,  妙見温泉,  日当山(ひなたやま)温泉等があります。また、宮崎県 ・ えびの市の宿は【楽天トラベル】えびの市のホテル・旅館・民宿検索結果で、宮崎県 ・ 小林市の宿は【楽天トラベル】小林市のホテル・旅館・民宿検索結果で、それぞれ、お探しいただけます。)

三角田の場所
(リンク先は、みやざきデジタルアーカイブ ・ みやざき文化財情報 ・ 文化財見学ルート ・ 文化財ルート08 兵どもの夢のあと〜島津・伊東氏攻防の地を巡る〜に基づくアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。住所:宮崎県えびの市池島,電話:0984-35-3838(宮崎県えびの市観光協会)。えびの市役所ホームページでも文化財・木崎原古戦場跡の中で(リンク先URLは2015年2月現在)宮崎県えびの市観光協会でも飯野エリアの中で(リンク先URLは2015年2月現在)みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜でも木崎原古戦場(えびの市)の中で紹介されています。
  宮崎県高等学校社会科研究会宮崎県の歴史散歩山川出版社,2006)p.176によれば、
三角田は、戦国時代の元亀3年5月4日(1572年6月14日)に日向国 真幸院(まさきいん)(今日の宮崎県 ・ えびの市,  小林市)の飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城城主・島津忠平(後の島津義弘)公が率いるわずか300名の島津軍が、日向 伊東氏の3,000名の大軍を打ち破った、「九州桶狭間」,「日向国桶狭間」等の異名でも知られる木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)(場所は、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の木崎原古戦場跡)関連の史跡スポットです。みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、三角田は、木崎原古戦場跡の敷地内にあるとの由です。
  宮崎県の歴史散歩p.176,ならびにフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、によれば、
三角田は、島津忠平(後の島津義弘)公が、伊東帰雲斎(伊東祐松)の孫の伊東祐信(伊東新次郎)を、一騎打ちの上で討ち取った場所であるとの由です。この時、島津忠平(後の島津義弘)公の栗毛牝馬(ひんば)は、伊東祐信(伊東新次郎)が突き出した槍の穂先が島津忠平(後の島津義弘)公を狙った時に膝(ひざ)を曲げてこれをかわしたことから、この愛馬は「膝突栗毛」と呼ばれるようになったとの由です(ただし、「膝突栗毛」が膝(ひざ)を曲げたのは、木崎原の戦いにおける別の局面であるという異説もあります)。また、えびの市役所ホームページ ・ 文化財・木崎原古戦場跡によれば(リンク先URLは2015年2月現在)三角田は、木崎原の戦いの局面で一時的に不利になった島津忠平(後の島津義弘)公を逃がすために、遠矢良賢ら6人が討たれた場所であるとの由であり、宮崎県えびの市観光協会 ・ 飯野エリアによれば(リンク先URLは2015年2月現在)島津忠平(後の島津義弘)公が態勢を立て直して再び伊東軍と激突した場所でもあるとの由です。
  上述のとおり、みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、
三角田は、木崎原古戦場跡の敷地内にあるとの由ですので、行き方・アクセスについては、(当ホームページ内の)木崎原古戦場跡紹介欄をご参照下さい。
  木崎原の戦い(きざきばるのたたかい,別名:覚頭合戦(加久藤合戦(かくとうがっせん)))関連の観光スポット・史跡スポットには、宮崎県 ・ えびの市
木崎原古戦場跡があり、みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、木崎原古戦場跡の敷地内に六地蔵塔,  三角田,  伊東新次郎(伊東祐信)との一騎打ちの際に島津義弘公が腰を掛けて休息した石と伝わる島津義弘の腰掛石,  慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に島津義弘公が詠まれた歌(短歌)「いそぐなよまた急ぐなよ世の中の定まる風の吹かぬかぎりは」が刻まれている島津義弘公歌碑等があるとの由です。木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦の舞台になったり参加武将や武士達の居城だったりした城跡・関連する博物館等にはこの他、宮崎県 ・ えびの市木崎原古戦場跡の徒歩圏の連動周遊エリアには首塚,  太刀洗川,  元巣塚げんそうづか,  鳥越城跡地図,  えびの市市の木崎原古戦場跡からは徒歩圏の場所にはえびの市歴史民俗資料館,  三徳院,  飯野城跡亀城公園,  加久藤城跡かくとうじょうあと,  馬関田城跡まんがたじょうあと,  日向国 真幸院(まさきいん)の吉田(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の城だった松尾城跡(この辺り(地図),  諏方山(大明司諏訪神社地図)がある山),  白鳥山地図の山麓にある白鳥権現社(現・白鳥神社)地図(の別当寺 ・ 白鳥山金剛乗院満足寺跡(廃寺))等があります。また、宮崎県 ・ 小林市木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦参加武将の居城跡には、小林市小林市地域伊東塚,  粥餅田古戦場跡かゆもちだこせんじょうあと,  小林城跡城山公園(元亀3年(1572年)の木崎原の戦い当時の城の名前は三ツ山城),  内木場城(うちこばじょう)跡(この辺り(地図)があり、小林市須木村地域米良筑後守の墓,  米良筑後守の首桶が保管されている須木総合ふるさとセンター,  須木城跡城山公園等があります。また、鹿児島県 ・ 伊佐市大口市地域には、木崎原の戦いに援軍として参加した島津軍の武将・新納忠元(にいろ ただもと)の居城スポットとして、大口城跡があります。木崎原の戦い以外の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットには、クルソン峡狗留孫峡の奥にある狗留孫神社くるそんじんじゃ狗留孫神社遺跡があります。この他の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットは、宮崎県えびの市観光協会ホームページリンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「えびの市観光協会」のgoogle検索結果でお探し下さい),  えびの市役所ホームページ上のキーワード「観光」のgoogle検索結果,ならびに京町温泉郷ホームページ(京町温泉活性化プロジェクト会議)リンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「京町温泉」のgoogle検索結果でお探し下さい)等で、お探しいただけます。
  最寄りの温泉地や温泉宿には、宮崎県 ・ えびの市
京町温泉,  吉田温泉,  鹿児島県 ・ 湧水町栗野岳温泉,  吉松温泉郷,  鹿児島県 ・ 霧島市霧島温泉,  妙見温泉,  日当山(ひなたやま)温泉等があります。また、宮崎県 ・ えびの市の宿は【楽天トラベル】えびの市のホテル・旅館・民宿検索結果で、宮崎県 ・ 小林市の宿は【楽天トラベル】小林市のホテル・旅館・民宿検索結果で、それぞれ、お探しいただけます。)

首塚の場所,ならびに太刀洗川の場所
(リンク先は、みやざきデジタルアーカイブ ・ みやざき文化財情報 ・ 文化財見学ルート ・ 文化財ルート08 兵どもの夢のあと〜島津・伊東氏攻防の地を巡る〜に基づくアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場〔首塚・太刀洗川〕(えびの市)掲載地図に基づく場所は、少し離れた首塚の場所,ならびに太刀洗川の場所になります。住所:宮崎県えびの市上江,電話:0984-35-2268(えびの市社会教育課文化係)。みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場〔首塚・太刀洗川〕(えびの市)によれば、太刀洗川は、首塚から道路を挟んで反対側にあるとの由です。えびの市役所ホームページでも文化財・木崎原古戦場跡の中で(リンク先URLは2015年2月現在)みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜でも木崎原古戦場〔首塚・太刀洗川〕(えびの市)として、石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 田の神・庚申塔・仁王像でも首塚,  太刀洗川として紹介されています。
  宮崎県高等学校社会科研究会宮崎県の歴史散歩山川出版社,2006)p.176によれば、
首塚は、戦国時代の元亀3年5月4日(1572年6月14日)に日向国 真幸院(まさきいん)(今日の宮崎県 ・ えびの市,  小林市)の飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城城主・島津忠平(後の島津義弘)公が率いるわずか300名の島津軍が、日向 伊東氏の3,000名の大軍を打ち破った、「九州桶狭間」,「日向国桶狭間」等の異名でも知られる木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)(場所は、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の木崎原古戦場跡)の後で、伊東軍の戦没者の首級(しるし)を葬った塚であるとの由です。えびの市役所ホームページ ・ 文化財・木崎原古戦場跡によれば、伊東方の戦没者の内、名だたる将及び宗徒の首は、日向国 真幸院三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の三ツ山城(後の小林城に送った上で、その他の首を、この首塚の地に埋めて供養したとの由です。一方、宮崎県の歴史散歩p.164によれば、三ツ山城(後の小林城に送られた方の首は、日向国 真幸院三ツ山(三之山,みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の伊東塚に埋められたとの由です。
  宮崎県の歴史散歩p.176によれば、
太刀洗川は、木崎原の戦い(場所は木崎原古戦場跡)の後に、島津軍が血刀を洗った川であるとの由です。現在では川は枯れているとの蘆です。
  みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、
首塚太刀洗川は、木崎原古戦場跡から徒歩5,6分程度の所にあるとの由ですので、行き方・アクセスについては、(当ホームページ内の)木崎原古戦場跡紹介欄をご参照下さい。
  木崎原の戦い(きざきばるのたたかい,別名:覚頭合戦(加久藤合戦(かくとうがっせん)))関連の観光スポット・史跡スポットには、宮崎県 ・ えびの市
木崎原古戦場跡があり、みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、木崎原古戦場跡の敷地内に六地蔵塔,  三角田,  伊東新次郎(伊東祐信)との一騎打ちの際に島津義弘公が腰を掛けて休息した石と伝わる島津義弘の腰掛石,  慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に島津義弘公が詠まれた歌(短歌)「いそぐなよまた急ぐなよ世の中の定まる風の吹かぬかぎりは」が刻まれている島津義弘公歌碑等があるとの由です。木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦の舞台になったり参加武将や武士達の居城だったりした城跡・関連する博物館等にはこの他、宮崎県 ・ えびの市木崎原古戦場跡の徒歩圏の連動周遊エリアには首塚,  太刀洗川,  元巣塚げんそうづか,  鳥越城跡地図,  えびの市市の木崎原古戦場跡からは徒歩圏の場所にはえびの市歴史民俗資料館,  三徳院,  飯野城跡亀城公園,  加久藤城跡かくとうじょうあと,  馬関田城跡まんがたじょうあと,  日向国 真幸院(まさきいん)の吉田(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の城だった松尾城跡(この辺り(地図),  諏方山(大明司諏訪神社地図)がある山),  白鳥山地図の山麓にある白鳥権現社(現・白鳥神社)地図(の別当寺 ・ 白鳥山金剛乗院満足寺跡(廃寺))等があります。また、宮崎県 ・ 小林市木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦参加武将の居城跡には、小林市小林市地域伊東塚,  粥餅田古戦場跡かゆもちだこせんじょうあと,  小林城跡城山公園(元亀3年(1572年)の木崎原の戦い当時の城の名前は三ツ山城),  内木場城(うちこばじょう)跡(この辺り(地図)があり、小林市須木村地域米良筑後守の墓,  米良筑後守の首桶が保管されている須木総合ふるさとセンター,  須木城跡城山公園等があります。また、鹿児島県 ・ 伊佐市大口市地域には、木崎原の戦いに援軍として参加した島津軍の武将・新納忠元(にいろ ただもと)の居城スポットとして、大口城跡があります。木崎原の戦い以外の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットには、クルソン峡狗留孫峡の奥にある狗留孫神社くるそんじんじゃ狗留孫神社遺跡があります。この他の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットは、宮崎県えびの市観光協会ホームページリンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「えびの市観光協会」のgoogle検索結果でお探し下さい),  えびの市役所ホームページ上のキーワード「観光」のgoogle検索結果,ならびに京町温泉郷ホームページ(京町温泉活性化プロジェクト会議)リンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「京町温泉」のgoogle検索結果でお探し下さい)等で、お探しいただけます。
  最寄りの温泉地や温泉宿には、宮崎県 ・ えびの市
京町温泉,  吉田温泉,  鹿児島県 ・ 湧水町栗野岳温泉,  吉松温泉郷,  鹿児島県 ・ 霧島市霧島温泉,  妙見温泉,  日当山(ひなたやま)温泉等があります。また、宮崎県 ・ えびの市の宿は【楽天トラベル】えびの市のホテル・旅館・民宿検索結果で、宮崎県 ・ 小林市の宿は【楽天トラベル】小林市のホテル・旅館・民宿検索結果で、それぞれ、お探しいただけます。)

元巣塚の場所(げんそうづか)
(リンク先は、みやざきデジタルアーカイブ ・ みやざき文化財情報 ・ 木崎原古戦場跡に基づくアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。住所:宮崎県えびの市池島,電話:0984-35-2268(えびの市社会教育課文化係)。えびの市ホームページでも文化財・木崎原古戦場跡の中で(リンク先URLは2015年2月現在)田舎暮らし | 酒とパソコンと少々の野菜でもえびの駅周辺の散策の中で紹介されています。
  宮崎県高等学校社会科研究会宮崎県の歴史散歩山川出版社,2006)p.176によれば、
元巣塚は、戦国時代の元亀3年5月4日(1572年6月14日)に日向国 真幸院(まさきいん)(今日の宮崎県 ・ えびの市,  小林市)の飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城城主・島津忠平(後の島津義弘)公が率いるわずか300名の島津軍が、日向 伊東氏の3,000名の大軍を打ち破った、「九州桶狭間」,「日向国桶狭間」等の異名でも知られる木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)(場所は、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の木崎原古戦場跡)の、後日談的な関連史跡スポットであるとの由です。宮崎県の歴史散歩p.176によれば、後年、村人や通行人、牛馬が急死することがあったとの由です。この原因が、木崎原の戦い(場所は木崎原古戦場跡)で多数の戦死者を出した日向 伊東氏方の祟りではないかということになったため、村人の不乱を取り除くために、飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)地頭 ・ 伊集院肥前入道元巣(伊集院久信)江戸時代の慶長18年(1613年)5月に建てた供養塔が、元巣塚であるとの由です。元巣塚の「元巣」とは、この供養塔を建てた武将・伊集院久信の入道後の名乗りが元巣(伊集院肥前入道元巣)だったからであるとの由です。
  
元巣塚は、木崎原古戦場跡から徒歩すぐの所にありますので、行き方・アクセスについては、(当ホームページ内の)木崎原古戦場跡紹介欄をご参照下さい。
  木崎原の戦い(きざきばるのたたかい,別名:覚頭合戦(加久藤合戦(かくとうがっせん)))関連の観光スポット・史跡スポットには、宮崎県 ・ えびの市
木崎原古戦場跡があり、みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、木崎原古戦場跡の敷地内に六地蔵塔,  三角田,  伊東新次郎(伊東祐信)との一騎打ちの際に島津義弘公が腰を掛けて休息した石と伝わる島津義弘の腰掛石,  慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に島津義弘公が詠まれた歌(短歌)「いそぐなよまた急ぐなよ世の中の定まる風の吹かぬかぎりは」が刻まれている島津義弘公歌碑等があるとの由です。木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦の舞台になったり参加武将や武士達の居城だったりした城跡・関連する博物館等にはこの他、宮崎県 ・ えびの市木崎原古戦場跡の徒歩圏の連動周遊エリアには首塚,  太刀洗川,  元巣塚げんそうづか,  鳥越城跡地図,  えびの市市の木崎原古戦場跡からは徒歩圏の場所にはえびの市歴史民俗資料館,  三徳院,  飯野城跡亀城公園,  加久藤城跡かくとうじょうあと,  馬関田城跡まんがたじょうあと,  日向国 真幸院(まさきいん)の吉田(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の一部)の城だった松尾城跡(この辺り(地図),  諏方山(大明司諏訪神社地図)がある山),  白鳥山地図の山麓にある白鳥権現社(現・白鳥神社)地図(の別当寺 ・ 白鳥山金剛乗院満足寺跡(廃寺))等があります。また、宮崎県 ・ 小林市木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦参加武将の居城跡には、小林市小林市地域伊東塚,  粥餅田古戦場跡かゆもちだこせんじょうあと,  小林城跡城山公園(元亀3年(1572年)の木崎原の戦い当時の城の名前は三ツ山城),  内木場城(うちこばじょう)跡(この辺り(地図)があり、小林市須木村地域米良筑後守の墓,  米良筑後守の首桶が保管されている須木総合ふるさとセンター,  須木城跡城山公園等があります。また、鹿児島県 ・ 伊佐市大口市地域には、木崎原の戦いに援軍として参加した島津軍の武将・新納忠元(にいろ ただもと)の居城スポットとして、大口城跡があります。木崎原の戦い以外の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットには、クルソン峡狗留孫峡の奥にある狗留孫神社くるそんじんじゃ狗留孫神社遺跡があります。この他の宮崎県 ・ えびの市の歴史観光スポットは、宮崎県えびの市観光協会ホームページリンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「えびの市観光協会」のgoogle検索結果でお探し下さい),  えびの市役所ホームページ上のキーワード「観光」のgoogle検索結果,ならびに京町温泉郷ホームページ(京町温泉活性化プロジェクト会議)リンク先URLは2015年2月現在。もしも将来リンク切れになったら、キーワード「京町温泉」のgoogle検索結果でお探し下さい)等で、お探しいただけます。
  最寄りの温泉地や温泉宿には、宮崎県 ・ えびの市
京町温泉,  吉田温泉,  鹿児島県 ・ 湧水町栗野岳温泉,  吉松温泉郷,  鹿児島県 ・ 霧島市霧島温泉,  妙見温泉,  日当山(ひなたやま)温泉等があります。また、宮崎県 ・ えびの市の宿は【楽天トラベル】えびの市のホテル・旅館・民宿検索結果で、宮崎県 ・ 小林市の宿は【楽天トラベル】小林市のホテル・旅館・民宿検索結果で、それぞれ、お探しいただけます。)

飯野城跡(亀城公園):飯野城跡の場所
(リンク先はアット・ニフティ@nifty ・ @nifty地図 いつもガイドの地図。宮崎県えびの市大字(おおあざ)原田字(あざ)城内。城郭放浪記でも>日向・飯野城として、Samurai Worldサムライワールド ・ 古城紀行でも飯野城跡として、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも飯野城として紹介されています(いずれもリンク先URLは2010年8月現在)
  
飯野城跡は、日向国 真幸院(まさきいん)(今日の宮崎県 ・ えびの市,  小林市)の飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)にあった中世城郭の遺構です。最初の段落で全体の要約を申せば、飯野城は、戦国時代の永禄7年(1564年)から天正15(1587)年までの間、島津義弘公の居城だった城であり、九州桶狭間と呼ばれる、戦国時代の元亀3年(1572年)の木崎原の戦い(戦場跡は、同じえびの市内にある木崎原古戦場)における島津義弘公の居城として、歴史に名が残る城です。飯野城跡は、木崎原の戦い関連では、同じえびの市内にある加久藤城跡,  馬関田城(まんがたじょう)跡,  木崎原古戦場跡も関連スポットであると同時に、島津義弘公ゆかりの城としては、霧島地域では、鹿児島県 ・ 姶良郡(あいらぐん) 湧水町栗野町地域栗野城跡や、鹿児島県 ・ 姶良郡(あいらぐん) 湧水町吉松町地域亀鶴城跡(吉松城跡)も関連スポットです。そして、亀城公園は、かつての飯野城の城跡です。
  宮崎県高等学校社会科研究会宮崎県の歴史散歩山川出版社,2006)pp.173-175によれば、
飯野城は元々、真幸院(まさきいん)(今日の宮崎県 ・ えびの市,  小林市)の真幸院司に、平安時代の永暦元年(1160年)に日下部(くさかべ)重貞が就任して築いた城です。真幸院とは、現在の宮崎県 ・ えびの市,  小林市小林市地域,  西諸県郡(にしもろかたぐん) ・ 高原町(たかはるちょう)エリアの古い地名です。日下部氏没落後、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏によれば、康永4年(1345年)に北原兼幸が真幸院司に就任して、大隅国串良院(現・鹿児島県 ・ 鹿屋市串良町地域東串良町)から移って来て新城主になったとの由です。
  北原氏は、大隅国 肝属郡(きもつきぐん) 高山(こうやま;現・鹿児島県 ・ 肝付町(きもつきちょう)高山町地域)の
高山城城主・肝付氏(きもつきし)の庶流(分家)の家であり、鹿児島県上野原縄文の森 ・ 埋蔵文化財情報データベース ・ 遺跡分布図検索 ・ 北原城跡(リンク先URLは2013年12月現在,2014年12月現在リンク切れ),ならびに播磨屋.com ・ 家紋World ・ 風雲戦国史 ・ 地方別武将一覧 ・ 九州 ・ 北原氏等によれば、肝付氏初代当主・肝付兼俊の子の北原兼幸が、平安時代の長寛2年(1164年)に大隅国串良院(現・鹿児島県 ・ 鹿屋市串良町地域東串良町)の弁済使に就任し、串良院の細山田の木田原(北原)に北原城(地図(現・鹿児島県鹿屋市串良町細山田生栗須)を築城し、その土地の名から北原氏と名乗るようになったとの由です。北原氏は当初は大隅国串良院におり、鹿児島県上野原縄文の森 ・ 埋蔵文化財情報データベース ・ 遺跡分布図検索 ・ 鶴亀城本丸跡(リンク先URLは2013年12月現在,2014年12月現在リンク切れ),ならびにお城の旅日記 ・ 大隅 串良城によれば、鎌倉時代の建久7年(1196年)に北原氏第2代当主・北原兼延は、大隅国串良院に鶴亀城(串良城)を築城したとの由です(ただし、鶴亀城(串良城)築城者には異説もある模様であり、城郭放浪記 ・ 大隅・鶴亀城によれば、鶴亀城(串良城)は、室町時代の文明2年(1470年)に平田重宗によって築かれた旨の説が載っています)。高山城城主の肝付氏南北朝時代には南朝方でしたが、播磨屋.com ・ 家紋World ・ 風雲戦国史 ・ 地方別武将一覧 ・ 九州 ・ 北原氏によれば、肝付氏の庶流である北原氏肝付氏には従わず、北朝方であったとの由であり、南北朝時代初期の九州北朝方武将の中の1人・畠山直顕に従っていたとの由です。同参照先によれば、康永2年(1343年)に日向国 守護職になった畠山直顕は、(同様に北朝方であるにもかかわらず、現地・九州にいなかった)細川氏日向国 ・ 真幸院(まさきいん)に有していた所領百町を横領し、細川氏領の現地管理者である日向国 真幸院の吉田郷(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の大字(おおあざ)「水流・昌明寺 ・内竪・岡松・向江・亀沢」)の坂周覚が抵抗したため、吉田合戦と呼ばれる戦いで坂一族を打ち破って没落させ、日向国 ・ 真幸院の内、6分の1を北原兼命に与えたとの由です。この年は、上述のとおりフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏によれば、康永4年(1345年)のことになります。それ以来、北原氏日向国 ・ 真幸院飯野城を居城として日向国 ・ 真幸院に拠点を移しました。
  これ以降の
飯野城はしばらくの間、北原氏の居城でした。戦国時代前半の北原氏は、合従連衡的に時期によってめまぐるしく敵味方を代えた戦をしましたが、主に、日向国 那珂郡 佐土原(さどわら)(現・宮崎県 ・ 宮崎市佐土原町地域)の佐土原城さどわらじょうと、日向国 児湯郡(こゆぐん)都於郡(とのこおり)(現・宮崎県 ・ 西都市 大字鹿野田,大字都於郡町等)の都於郡城とのこおりじょうを拠点としていた日向国の反島津氏派の国人戦国大名 ・ 日向 伊東氏と呼応した動きを採ることが多く、最盛期と言える大永2年(1522年)には、本領の真幸院だけでなく、日向国 都城(現・宮崎県 ・ 都城市都城市地域)の都之城を拠点としていた島津氏庶流の北郷氏(ほんごうし)の領域であった都城盆地の一部も、支配に治めた程の勢力を誇りました。詳しくは当ホームページ内の都之城紹介欄月山日和城がっさんひわじょう)(高城)紹介欄で解説したような様々な紆余曲折や支配領域の拡大縮小がありましたが、島津氏の三州(薩摩国,  大隅国,  日向国)の領国内統一平定戦の過程で当初は北原氏は反島津氏側であることが多く、例えば、天文23年(1554年)に大隅国 桑原郡(後に、江戸時代には始羅郡(しらぐん))帖佐平松(ちょうさひらまつ;現・鹿児島県 ・ 姶良市姶良町地域の一部)の岩剣城(岩剱城)いわつるぎじょうで行われた、薩摩国祁答院(けどういん;現・鹿児島県 ・ 薩摩川内市祁答院町地域さつま町宮之城町地域)の虎居城城主で岩剣城(岩剱城)城主でもあった渋谷五族(薩摩渋谷氏)の内の1家・祁答院氏第13代当主・祁答院良重(けどういんよししげ)らの勢力と、島津氏との間の岩剣城(岩剱城)の戦いの時点では、反島津氏勢力だったとの由です。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏,  三ツ山城,  白坂下総介,  馬関田右衛門佐,ならびに北原兼孝等によれば、戦国時代の永禄元年(1558年)に、日向国 真幸院三之山(みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の
三ツ山城この辺り(地図)城主で北原氏第13代当主・北原兼守が病没しました。北原氏第13代当主・北原兼守の居城が三ツ山城この辺り(地図)であったことから、北原氏の本城は、北原兼守の代の時には飯野城から三ツ山城この辺り(地図)に移っていたことが分かります。上記の各参照先によれば、北原兼守には男子がありませんでしたので、北原兼守の叔父で、日向国 真幸院(まさきいん)飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城城主・北原兼孝の子に娘を嫁がせて後継ぎとすることを遺言で定めていたとの由ですが、その娘が夭折したこともあり、後継者問題が生じたとの由です。上記の各参照先によれば、北原兼守没後、日向国 那珂郡 佐土原(さどわら)(現・宮崎県 ・ 宮崎市佐土原町地域)の佐土原城さどわらじょう日向国 児湯郡(こゆぐん)都於郡(とのこおり)(現・宮崎県 ・ 西都市 大字鹿野田,大字都於郡町等)の都於郡城とのこおりじょうを拠点にしていた日向国の反島津氏国人戦国大名 ・ 日向 伊東氏第10代当主・伊東義祐は、北原氏の世継ぎ争いに介入して、北原兼守の室だった伊東義祐の娘を、日向国 真幸院の馬関田(まんがた;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の大字(おおあざ)「西川北」周辺)の馬関田城まんがたじょう城主で北原氏庶流の馬関田右衛門佐(まんがた うえもんのすけ)に嫁がせて北原氏の家督を継承させることにより、北原氏を事実上乗っ取ってしまったとの由です。
  この過程で永禄2年(1559年)3月17日に、伊東義祐は、反伊東義祐北原氏家臣を
都於郡城とのこおりじょうに呼びつけて、その帰途を襲って粛清してしまったとの由です。さらに、永禄5年(1562年)に、飯野城から北原兼孝を、日向国 真幸院三之山(みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の三ツ山城この辺り(地図)城主に就任した馬関田右衛門佐家臣の平良兼賢と、伊東義祐家臣の長倉祐政(伊東勘解由)が、誘(おび)き出して殺害してしまったとの由です。また、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原兼孝によれば、北原兼孝の男子も、狗留孫峡(クルソン峡)にいたところを、日向国 真幸院の大河平(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域の大字(おおあざ)「大河平」)の大河平城地図(宮崎県えびの市大河平元屋敷)城主で菊池氏庶流の北原氏家臣・大河平氏(おこびらし)によって殺害されてしまったとの由です。北原兼孝の男子のこの死は、鴨着く島 おおすみ 〜南九州の歴史の謎を探る〜 ・ 『三国名勝図会』から学ぶ おおすみ歴史講座 ・ 平成23年度 第8回『三国名勝図会』日向国・諸県郡・飯野郷によれば、狗留孫(くるそん)山権現社(狗留孫山多宝院端山寺;現・狗留孫神社狗留孫神社遺跡端山寺跡)))に書を学びに来ていたところ、動乱に巻き込まれて命を落としたのであるとの由です。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏,  三ツ山城,  白坂下総介,  馬関田右衛門佐,ならびに北原兼孝等によれば、上述のような情勢下で、永禄2年(1559年)の伊東義祐による反伊東義祐北原氏家臣粛清から逃げ延びた、反伊東義祐派の北原氏家臣・白坂下総介は、大隅国 囎唹郡(そおぐん) 長浜;現・鹿児島県 ・ 霧島市隼人町地域の一部)の
長浜城(元・生別府城(おいのびゅうじょう))地図城主で島津氏庶流の樺山氏(かばやまし)第8代当主で島津氏の家臣の樺山善久(別名:樺山幸久,樺山玄佐)の元に身を寄せたとの由です。白坂下総介は、樺山善久を介して、三州(薩摩国,  大隅国,  日向国)(概ね現・鹿児島県 + 宮崎県守護薩摩国 鹿児島郡 鹿児島(現・鹿児島県 ・ 鹿児島市鹿児島市地域)の内城うちじょう城主の島津氏宗家第15代当主・島津貴久公に、北原氏再興を願い出たとの由です。この願い出を受けて島津貴久公は、永禄5年(1562年)に、肥後国 球磨郡 人吉(現・熊本県 ・ 人吉市)の人吉城城主で肥後国国人戦国大名 ・ 相良氏(さがらし)第18代当主・相良義陽と、日向国 諸県郡(もろかたぐん) 都城(現・宮崎県 ・ 都城市都城市地域)の都之城(都城)城主で、島津氏庶流の北郷氏(ほんごうし)第10代当主で島津氏の家臣の北郷時久と共に、相良氏の元に身を寄せていた北原兼親を支援して、永禄5年(1562年)5月に相良氏伊東義祐のものになっていた日向国 真幸院の馬関田(まんがた;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧真幸町地域の大字(おおあざ)「西川北」周辺)の馬関田城まんがたじょうを奪還したことを手始めにして、日向 伊東氏からの北原領の奪還を実現したとの由です。この結果、北原兼親は、北原氏第14代当主の座に就くことができ、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城に入ることができたとの由です。また、北原氏家臣・白坂下総介は、北原氏領の内、日向国 諸県郡(もろかたぐん) 高原(たかはる;現・宮崎県 ・ 西諸県郡 高原町(たかはるちょう))の高原城たかはるじょうの城主になったとの由です。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏によれば、島津氏,  相良氏,  北郷氏(ほんごうし)は、日向国 真幸院の飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の白鳥神社に、北原兼親の前で、相互に助勢し合うという内容の起請文を提出したとの由です。このような起請文を提出したということは、永禄5年(1562年)の時点では、島津氏庶流の北郷氏(ほんごうし)は、島津氏本宗家の完全な家臣にはまだなっておらず、島津氏本宗家と対等な立場の勢力であったことを意味しています。
  同年、永禄5年(1562年)には、島津氏・相良氏・北郷氏(ほんごうし)による北原氏への支援の一環として、
横川城攻め(横川崩れ)も発生しました。これは、サムライワールド ・ 古城紀行 ・ 横川城跡,  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原兼正,ならびに小助官兵衛の部屋 ・ 小助官兵衛の戦国史シナリオ/小助官兵衛の戦国史に登場する城郭一覧 ・ 【大隅国】によれば、大隅国 桑原郡 横川(現・鹿児島県 ・ 霧島市横川町地域)の横川城城主で北原氏家臣の北原兼正(北原伊勢介)・新助親子が日向 伊東氏側勢力だったため、永禄5年(1562年)5月に、島津義弘公・島津歳久公兄弟が、北原兼正(北原伊勢介)・新助親子が籠城していた横川城攻めを開始して、落城させた合戦です。横川城攻めについて詳しくは、当ホームページ内の横川城紹介欄でご参照いただけます。ところで、島津修久島津義弘の軍功記 増補改訂版』(島津顕彰会発行,今村印刷所印刷,2000,鹿児島市尚古集成館で販売)p.121-122の年表等によれば、島津義弘公は、永禄3年(1960年)3月に、日向国 飫肥院(日向国 宮崎郡 飫肥)(おび;現・宮崎県 ・ 日南市 飫肥地区)の飫肥城おびじょう城主で島津氏庶流の豊州家第5代当主・島津忠親の養子になり、飫肥城おびじょうで、北方からの日向 伊東氏の攻勢に備えていたとの由です。ところが、永禄4年(1561年)に大隅国 囎唹郡(そおぐん)廻(めぐり;現・鹿児島県 ・ 霧島市福山町地域)の廻城めぐりじょう周辺で行われた廻城の戦いで、島津義弘公の叔父で、大隅国 囎唹郡(そおぐん) 国分(現・鹿児島県 ・ 霧島市国分市地域)の国分清水城こくぶきよみずじょう城主の島津忠将が戦死すると、大隅国 肝属郡(きもつきぐん) 高山(こうやま;現・鹿児島県 ・ 肝付町(きもつきちょう)高山町地域)の高山城城主で、肝付氏第16代当主・肝付兼続(きもつき かねつぐ)に対する島津氏の防衛環境が悪化したため、永禄5年(1562年)3月に島津義弘公は豊州家との間の養子縁組を解消して、島津氏本宗家に戻らざるを得なくなっていたとの由です。少し前まで飫肥城おびじょう防衛の任に就いていたはずの島津義弘公が、横川城攻めの攻め手側の大将の中にいたのは、このような経緯に基づくものです。
  前述のとおり、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原兼親によれば、戦国時代の永禄5年(1562年)の島津氏・相良氏・北郷氏(ほんごうし)による北原氏への支援の結果、北原兼親は、旧領の日向国 真幸院(まさきいん)日向 伊東氏から奪還して北原氏第14代当主に就任し、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の
飯野城の城主になっていたとの由です。しかし、翌永禄6年(1563年)には肥後国 球磨郡 人吉(現・熊本県 ・ 人吉市)の人吉城城主で肥後国国人戦国大名 ・ 相良氏(さがらし)第18代当主・相良義陽が裏切り、日向国 那珂郡 佐土原(さどわら)(現・宮崎県 ・ 宮崎市佐土原町地域)の佐土原城さどわらじょう日向国 児湯郡(こゆぐん)都於郡(とのこおり)(現・宮崎県 ・ 西都市 大字鹿野田,大字都於郡町等)の都於郡城とのこおりじょうとを拠点にしていた日向国の反島津氏国人戦国大名 ・ 日向 伊東氏第10代当主・伊東義祐と手を組んで、日向国 真幸院飯野大明神城(小城(地図)のことの模様)を落城させたとの由です。また、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏,  九州戦国ブログ〜室町末期から江戸初期まで〜 ・ レジェンドオブ大河平(おこびら)_基礎資料(人物編),  よんご会HP 歴史・史跡欄 年表(吉松と栗野のおいたち) ・ 亀鶴城孫引きの鬼塚秋花『吉松古蹟考』写本,ならびに城郭放浪記 ・ 鹿児島県姶良郡のお城一覧掲載地図によれば、大隅国 桑原郡 筒羽野島津義弘公が吉松と改名)(現・鹿児島県 ・ 姶良郡 湧水町吉松町地域)の亀鶴城(吉松城)城主で北原兼親の叔父の北原左衛門尉が、日向 伊東氏相良氏(さがらし)と通じて、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)から島津氏を追い出そうと画策していたことが発覚して、永禄7年(1564年)に出奔したとの由です。さらに、九州戦国ブログ〜室町末期から江戸初期まで〜 ・ 大河平氏_11【今城合戦---4・総攻撃】掲載地図,城郭放浪記 ・ 宮崎県えびの市のお城一覧掲載地図,フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏,  北原兼親,  大河平氏,  大河平隆次,  今城(えびの市),ならびに播磨屋.com ・ 家紋World ・ 風雲戦国史 ・ 地方別武将一覧 ・ 九州 ・ 北原氏によれば、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城城主で北原氏第14代当主の北原兼親は、家臣で日向国 真幸院の大河平(おこびら;現・宮崎県 ・ えびの市大字(おおあざ)「大河平」)の今城地図城主で、菊池氏庶流の大河平氏(おこびらし)第3代当主・大河平隆次(おこびら たかつぐ)と不仲になったとの由です。このため、北原兼親は、「飯野城今城地図とは近いため、すぐに今城地図に援軍に駆け付けられる」として今城地図の援軍の撤収を島津義弘公に進言し、島津義弘公が兵を撤退させたところ、手薄になった今城地図日向 伊東氏に攻められて、永禄7年(1564年)に今城地図の城兵が全滅してしまったとの由です。このような情勢下で後難を恐れた、大隅国 桑原郡 踊(おどり;後の牧園)(現・鹿児島県 ・ 霧島市牧園町地域)の踊城(所在地不明(注)城主・白坂佐渡介、日向国 諸県郡(もろかたぐん) 高原(たかはる;現・宮崎県 ・ 西諸県郡 高原町(たかはるちょう))の高原城城主・白坂下総介等の家臣が、北原家から相次いで出奔する状況に陥ったとの由です。北原氏のこの自壊的混乱の結果、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 三ツ山城によれば、日向国 真幸院三之山(みつのやま;後の小林)(現・宮崎県 ・ 小林市小林市地域)の三ツ山城この辺り(地図)は再び日向 伊東氏方の城になり、その城主には平良兼賢がなったとの由です。また、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 高原城によれば、日向国 諸県郡(もろかたぐん) 高原(たかはる;現・宮崎県 ・ 西諸県郡 高原町(たかはるちょう))の高原城も再び日向 伊東氏方の城になり、その城主には福永源左衛門がなったとの由です。
(注) 踊城跡の場所については調べてみましたが、例えば奥天降(おくあもり) エコツアー ・ ブログ ・ 平成23年2月6日開催・第36回「踊城跡・西南の戦役七又山堡塁群跡」のように踊城跡を訪れた方がおられますので、城跡があることは確かなのですが地図が載っている情報源を見つけられず、どこにあるか分かりませんでした。鴨着く島 おおすみ 〜南九州の歴史の謎を探る〜 ・ 『三国名勝図会』から学ぶ おおすみ歴史講座 ・ 平成25年度 第1回 大隅国 桑原郡 日当山・踊 各郷(H25.4.21),ならびに江戸の名残/江戸の名残香を訪ねて ・ 鹿児島の麓:薩摩藩の外城 ・ 牧園麓等によれば、江戸時代薩摩藩外城(とじょう)制における大隅国 桑原郡 郷(現・鹿児島県 ・ 霧島市牧園町地域)の 牧園 踊城跡)であったとの由であり、かつ、 牧園 地頭仮屋跡は後の霧島市立牧園小学校地図の場所にあったとの由ですので、この辺りにあったのであろうと推測します。

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 北原氏,  北原兼親,ならびに飯野城等によれば、このような状況に陥ったため、北原氏第14代当主の北原兼親は、日向国 真幸院(まさきいん)(現・宮崎県 ・ えびの市,  小林市小林市地域)の本領を維持することが難しくなってしまったとの由です。薩摩国 鹿児島郡 鹿児島(現・鹿児島県 ・ 鹿児島市鹿児島市地域)の
内城うちじょう城主で島津氏宗家第15代当主・島津貴久公は、この事態を憂えて永禄7年(1564年)に、薩摩国 日置郡 伊集院の神殿(こどん)村(現・鹿児島県 ・ 日置市伊集院町地域大字(おおあざ)伊集院町上神殿この辺り(地図))」ならびに「伊集院町下神殿この辺り(地図))」)の中にに30町歩の領地を与えて、北原兼親を移住させたとの由です。この結果、北原氏日向国 真幸院戦国武将の座を失うに至ったとの由です。このような経緯の結果、日向国 真幸院は、北原氏去り後、永禄7年(1564年)に島津氏本宗家の直接的な勢力圏になり、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の飯野城の新たな城主には、島津義弘公が就任したとの由です。
  よんご会HP 歴史・史跡欄 年表(吉松と栗野のおいたち) ・ 亀鶴城孫引きの鬼塚秋花『吉松古蹟考』写本,ならびに鹿児島県神社庁ホームページ ・ 菅原神社によれば、島津義弘公は、
飯野城に移る際に、飯野城の普請(工事)が完了するまでの間、大隅国 桑原郡 筒羽野島津義弘公が吉松と改名)(現・鹿児島県 ・ 姶良郡 湧水町吉松町地域)の亀鶴城(吉松城)に居城していたとの由です。また、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 吉松町によれば、後年、島津氏が三州(薩摩国,  大隅国,  日向国)(概ね現・鹿児島県 + 宮崎県)の領国国内統一を成し遂げて、菱刈氏を追って北薩を攻略した後に、島津義弘公が豊後国に移った際に、亀鶴城(吉松城)を仮住居にしていたとの由です。島津義弘公が豊後国に移ったというのは、即ち、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 豊薩合戦等によれば、島津氏による九州統一が戦国時代末期/安土桃山時代の天正14年(1586年)7月〜同15年(1587年)4月の豊臣秀吉九州征伐(九州平定)で阻まれる直前の島津氏による九州統一の最末期、天正14年(1586年)〜天正15年(1587年)の豊薩合戦で、今日の大分県の諸城の内、旧豊後国の諸城を攻めたことを指すものと推測します。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 阿蘇合戦,ならびに島津修久島津義弘の軍功記 増補改訂版』(島津顕彰会発行,今村印刷所印刷,2000,鹿児島市尚古集成館で販売)p.123の年表等によれば、豊薩合戦に先立つ天正12年(1584年)〜天正13年(1585年)の阿蘇合戦末期の天正13年(1585年)に、おいて島津義弘公は、肥後国 守護代に任命されて肥後国 八代郡 八代(やつしろ;現・熊本県 ・ 八代市)の古麓城ふるふもとじょう)(初代八代城を拠点として阿蘇合戦で今日の熊本県の諸城を攻めています。このため、島津義弘公は、豊薩合戦では、肥後国(現・熊本県)から豊後国(現・大分県の一部)に攻め入りました。したがって、上述のとおり島津義弘公が豊薩合戦に行く際に亀鶴城(吉松城)を仮住居にしていたという話が本当であれば、それは、阿蘇合戦豊薩合戦との間に一時帰国したりしていない限り、一旦肥後国(現・熊本県)の古麓城ふるふもとじょうを経由する前のことだということになります。
  ここで話を、永禄7年(1564年)の頃に戻します。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 大明神城,  桶平城,  遠矢良賢,ならびに宮崎大学附属図書館 宮崎県遺跡リポジトリ ・ 宮崎県えびの市教育委員会編『えびの市の城館跡』(えびの市埋蔵文化財調査報告書No.45,2008)pp.3-4,pp.100-107等によれば、日向国 真幸院飯野(いいの;現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧飯野町地域)の
大明神城(小城(地図)のことの模様)は、上述のとおり一旦は日向 伊東氏と手を組んだ肥後国 球磨郡 人吉(現・熊本県 ・ 人吉市)の人吉城城主で相良氏(さがらし)第18代当主・相良義陽が落としていましたが、その後は再び島津氏のものになっていた模様であるとの由です。永禄11年(1568年)には、日向国 真幸院飯野桶平城(おけひらじょう;別名:桶平塁,田原陣(たばるじん))この辺り(地図)永井文庫・古美術志野WEB ・ 聚史苑 ・ 中世日向国関係年表によれば永禄11年8月9日(1568年8月31日)から陣取っていた日向 伊東氏の家臣で庶流の伊東祐安と連携して飯野城を挟撃しようとした相良義陽の軍の進軍を、日向国 真幸院の大河平(おこびら;現・宮崎県 ・ えびの市大字(おおあざ)「大河平」)の今城地図の永禄7年(1564年)の籠城戦で上述のとおり戦死した大河平隆次(おこびら たかつぐ)の姉で、肥後国 球磨郡皆越(現・熊本県 ・ 球磨郡くまぐん) ・ あさぎり町大字(おおあざ)「皆越(この辺り(地図))」)の地頭・皆越六郎左衛門に嫁いでいたナミから事前に相良軍と伊東軍の動向を知らされていた島津義弘公は、大明神城(小城(地図)のことの模様)で阻(はば)んだとの由です。この時の合戦では、伊東祐安桶平城(別名:桶平塁,田原陣)この辺り(地図)佐土原遠江守を置いていたとの由ですが、島津義弘公家臣の遠矢良賢黒木実利が、ウズラ狩りを装った小勢で桶平城(別名:桶平塁,田原陣)この辺り(地図)伊東軍を誘い出して、釣り野伏せで打ち破ったとの由です。日向国 児湯郡(こゆぐん)都於郡(とのこおり)(現・宮崎県 ・ 西都市 大字鹿野田,大字都於郡町等)の都於郡城とのこおりじょう城主で、日向 伊東氏の家督を継いでいた日向 伊東氏第11代当主の伊東義益が永禄12年7月11日(1569年8月23日)に病没したため、桶平城(別名:桶平塁,田原陣)この辺り(地図)伊東軍は、日向国 真幸院飯野から去ったとの由です。なお、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 大河平氏によれば、皆越六郎左衛門は、上述の妻ナミの情報提供の功績の結果、大河平氏(おこびらし)の旧領を与えられて、大河平隆俊と改名した上で大河平氏の家督を継いだとの由です。大河平氏の家督はその後、大河平隆次の実子の大河平隆重、或いは史料によっては大河平隆次の叔父の大河平隆堅の孫の大河平隆商が大河平隆俊の養子となり、大河平氏の男系の血統で存続したとの由です。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦い等によれば、戦国時代の元亀3年(1572年)の、「九州桶狭間」と言われる木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)(戦場跡は
木崎原古戦場跡)で島津義弘公は、300名の寡兵で、伊東祐安を総大将として日向 伊東氏第10代当主・伊東義祐が派遣した3,000名の大軍を打ち破る大功を実現したとの由です。木崎原の戦いも、島津氏得意の戦法・釣り野伏せが使われた合戦として知られていますが、ただし、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 木崎原の戦いによれば、木崎原の戦いでは最初から意図して釣り野伏せを使ったのではなく、結果的に釣り野伏せの状況になったとの由です。これを機会に伊東氏に対して島津氏が優位に立ち、後の天正5年(1577年)の伊東崩れ、翌天正6年(1578年)の耳川の戦い(戦場跡は、現・宮崎県 ・ 児湯郡 ・ 木城町から川南町にかけての耳川の戦い古戦場)を経て、伊東氏日向国(概ね今日の宮崎県)から駆逐することに成功します。この木崎原の戦い(戦場跡は木崎原古戦場跡)の際の島津義弘公の居城として、飯野城は、同じく島津側の最寄りの加久藤城と共に歴史に名が残っています。
  
飯野城は、豊臣秀吉による天正15年(1987年)の九州征伐(九州平定)の結果、同年(天正15年(1587年))、島津義弘公の嫡男・島津久保の居城になりますが、島津久保文禄の役豊臣秀吉朝鮮戦役)に参加中に病死してしまいました。その後、元和元年(1615年)の一国一城令により、飯野城は廃城になりました。なお、島津義弘公は、上述の九州征伐(九州平定)の結果、豊臣秀吉の命によって天正15年(1587年)に大隅国を与えられたため、大隅国 桑原郡 栗野(現・鹿児島県 ・ 姶良郡 湧水町栗野町地域)に栗野城を築城して、 ・ 大阪滞在から帰った後、天正18年(1590年)に栗野城に移りました。宮崎県高等学校社会科研究会宮崎県の歴史散歩山川出版社,2006)pp.173-175によれば、元和元年(1615年)の一国一城令で廃城になったとの由です。
  江戸時代薩摩藩では、慶長20年/元和元年(1615年)の一国一城令に対する実質的な抜け穴の支城ネットワーク網となる地方行政・軍事ネットワーク網の制度「外城制」の下、「郷(ごう)」と呼ばれる地方行政区画ごとに武家集住地域「外城(後に「麓」と改称)」を設け、武家屋敷群を拠点にした地方統治を行っていました。武家屋敷群は、文字どおり中世の山城があった山の麓に設けられた場合が多いです。江戸の名残/江戸の名残香を訪ねて ・ 飯野麓によれば、
飯野城廃城後に日向国 諸県郡(もろかたぐん) 飯野(現・宮崎県 ・ えびの市の1966年までの旧北諸県郡 飯野町地域)の地に設けられた飯野 も、飯野城の麓に設けられたとの由です。各「外城(麓)」で「郷」を統治する武士の見地から「郷」を分類すれば、一所持と呼ばれる家格の重臣が私領主として統治する「郷」と、薩摩藩の藩庁の役人が藩官僚「地頭」として統治する「郷」とが、ありました。城鑑賞の旅・二人で城ある記 城(お城・城郭)・宮殿・城下町・歴史遺構など、熟年夫婦の城巡りの報告 ・ 島津 外城(麓)の地図によれば、飯野 は後者の方であったとの由です。また、御仮屋とは、武家屋敷群の統治者の役所(兼)館となる施設です。宮崎県高等学校社会科研究会宮崎県の歴史散歩山川出版社,2006)pp.173-175,ならびに江戸の名残/江戸の名残香を訪ねて ・ 飯野麓によれば、飯野 の地頭仮屋は、今日のえびの市役所 飯野出張所地図(〒889-4301 宮崎県えびの市大字原田3453)がある場所にあったとの由です。
  今日では
飯野城は、亀城公園として整備されています。
  公共交通機関での行き方は、宮崎県 ・ えびの市にあるJR九州 ・ 吉都線 ・ えびの飯野駅地図)からタクシーになります。鹿児島空港からえびの飯野駅地図)付近へは、鹿児島空港発宮崎行き空港アクセス・バスで「高速バス『飯野』バス停」(地図)下車、でも行けます。宮崎空港からは、宮崎県 ・ 小林市にある「宮崎空港からのバスが到着する「小林バスセンター(地図)」または吉都線 ・ 小林駅地図)徒歩圏内の「本町」バス停(地図)」から「京町待合所」(地図)行きバスに乗車、「大平(おでら)」バス停(地図)下車、徒歩です。「大平(おでら)」バス停(地図)については、逆方向として、宮崎県 ・ えびの市京町温泉吉都線 ・ 京町温泉駅地図)最寄りの「京町待合所」バス停(地図)から小林(小林バスセンター(地図)方面)行きバスに乗って行くこともできます。九州新幹線でお越しの方は、2013年4月現在新八代駅地図)から乗り換えられる高速連絡バス「B&Sみやざき(宮崎交通,  JR九州バス)」でえびの市,  小林市方面に行くことができ、「えびのIC(えびのインターチェンジ)(地図)」バス停(一部のみ停車)、「小林IC(小林インターチェンジ)(地図)」バス停下車となり、公共交通機関では、下車バス停から各市中心部や最寄り観光スポットへは、車(タクシー等)になります。バスの時刻表については九州のバス時刻表,  宮崎交通公式WEBサイト等で、タクシー会社については【iタウンページ】宮崎県えびの市のタクシー会社の検索結果で、お調べいただけます。
  九州新幹線でお越しの方にとって鉄路て行くためには、上述のえびの飯野駅地図)へは、九州新幹線 ・ 鹿児島中央駅地図)で日豊本線に乗り換えて、隼人駅地図)で肥薩線に乗り換えて吉松駅地図)で吉都線に乗り換えるか、或いは、鹿児島中央駅地図)で日豊本線に乗り換えて都城駅地図)で吉都線に乗り換えるか、或いは、九州新幹線 ・ 新八代駅地図)で肥薩線に乗り換えて吉松駅地図)で吉都線に乗り換えるか、すれば行けます。隼人駅地図)で肥薩線に乗り換える場合には、2013年4月現在鹿児島中央駅地図)−吉松駅地図)間は観光特急「はやとの風」で行くことができ、都城駅地図)で吉都線に乗り換える場合には、鹿児島中央駅地図)−都城駅地図)間は特急きりしまで行くことができ、新八代駅地図)で肥薩線に乗り換える場合には、新八代駅地図)−人吉駅地図)は特急「くまがわ」または特急「九州横断特急」で行くことができ、人吉駅地図)−吉松駅地図)間は観光列車「いさぶろう・しんぺい」号で行くことができます。
  木崎原の戦い(きざきばるのたたかい,別名:覚頭合戦(加久藤合戦(かくとうがっせん)))関連の観光スポット・史跡スポットには、宮崎県 ・ えびの市
木崎原古戦場跡があり、みんカラ ・ 不楽是如何〜史跡めぐりドライブ〜 ・ 木崎原古戦場(えびの市)によれば、木崎原古戦場跡の敷地内に六地蔵塔,  三角田,  伊東新次郎(伊東祐信)との一騎打ちの際に島津義弘公が腰を掛けて休息した石と伝わる島津義弘の腰掛石,  慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に島津義弘公が詠まれた歌(短歌)「いそぐなよまた急ぐなよ世の中の定まる風の吹かぬかぎりは」が刻まれている島津義弘公歌碑等があるとの由です。木崎原の戦い関連の観光スポット・史跡スポット・合戦の舞台になったり参加武将や武士達の居城だったりした城跡・関連する博物館等にはこの他、宮崎県 ・ えびの市